中国,金代の革新的道教教団である全真教の開祖王重陽の高弟の一人。道士としての称号〈長春真人〉で知られる。西征中のチンギス・ハーンが使者を遣わして招いたのに応じて70歳以上の身で1220年出発,22年,今のアフガニスタン北部でハーンに謁見した。ハーンが〈長生の薬はあるか〉と問うたのに対して,〈衛生の道はあるが,長生の薬はない〉と答えた。ハーンとの別れに当たって,彼は道士に対する賦税免除の特権を与えられた。そしてこの強大な政治権力者を背景にして教団の発展に成功した。彼の旅行記として,同行した弟子李志常が記録した《西遊記》があり,13世紀中央アジアに関する中国側史料として第一等の価値をもつ。たとえばサマルカンドについて,モンゴル侵入までの戸数10万余が,戦乱により4分の1に減ったことが記されている。また耶律楚材と韻を合わせた詩も少なくなく,本国における道教対仏教の争いとはかかわりなく,両者の西域での友好を示している。
執筆者:勝藤 猛
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…彼は晩年の7年間,山東地方を中心にして布教活動を行い,七宝会,金蓮会,三光会,玉華会,平等会の5会を結成し,いずれも三教の名を冠した。そして,この布教活動の結果,馬丹陽,譚長真,劉長生,丘処機(長春真人),王玉陽,郝広寧(かくこうねい),孫不二の七真と呼ばれる高弟を得た。このうち,馬丹陽(1123‐83)は王重陽なき後,中心になって教団の勢力拡張に努め,陝西地方において急速に教勢を伸ばした。…
…その後,政和年間(1111‐17)には《万寿道蔵》5481巻が刊行されて各地の道観に下賜されたが,これは印刷に付された最初の《道蔵》である。金代には《大金玄都宝蔵》6455巻が,次いで元代には全真教の祖師丘処機(長春真人)の発願で《元玄都宝蔵》が刊行されたが,その数7800余巻の多きに達した。その後,道仏論争に敗れた結果,《元玄都宝蔵》は1280年(至元17)に他の道書ともども焼棄され,多くの道書が失われた。…
…8~14世紀ころ,チベットなどとの抗争期を含むウイグル~モンゴル時代にこの名のもとで栄えた。13世紀の20年代,この地を訪れた丘処機は,その著《長春真人西遊記》にウイグル王の部族からブドウ酒による歓待をうけた模様を記し,当地の漢人の僧侶,道士,儒者と座談を行い,仏寺竜興西寺を訪れている。モンゴル族の元朝ではジャムチが置かれるとともに屯田もなされ,交通・軍事上の重要な位置を占めた。…
※「丘処機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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