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白雲観 はくうんかんBo-yun-guan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

白雲観
はくうんかん
Bo-yun-guan

中国,道教の二大宗派の一つ全真教の本山。北京市西便門の西方約 1kmに所在する北方道教の代表的道観。唐の玄宗帝 (在位 712~756) の頃創立された天長観を起源とし,数次の改築を経て,元のチンギス・ハンの信任を得た長春真人の遺骸を葬った処順堂を中心にして建てられ,清代に現状に近い重修を行なっている。

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世界大百科事典 第2版の解説

はくうんかん【白雲観 Bái yún guàn】

中国の北京市西便門外にある道教の代表的な叢林で,全真教の根本道場。唐の玄宗が勅建した天長観のうち,幽州の地に建立されたものがその前身にあたり,遼・金時代の北方における代表的な道観であった。唐代,866年(咸通7)に重修され,金代,正隆年間(1156‐60)に全焼したが,1174年(大定14)に再建された。大定年間末には王重陽の弟子,王玉陽,長春真人(丘処機),劉長生ら全真教七真人が往来居住し,その根本道場となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

白雲観
はくうんかん

中国、北京(ペキン)に現存する全真教竜門派の叢林(そうりん)(総本山)。古く金代では天長観と称し、世宗の大定(1161~89)の末年から全真教の開祖王(おうてつ)(重陽(ちょうよう))や真人丘長春(きゅうちょうしゅん)などの祖師たちと関係があった。元の太祖に親任された丘長春がこれに住して改修し、長春宮と改称。元の滅亡により廃絶していたが、丘長春の没後、掌教の職を継いだ尹志平(いんしへい)の居所の名にちなみ白雲観とよばれ、丘長春の墓を置いた。現在の白雲観は明(みん)代以降に位置を移して修築されたもので、十方叢林(じっぽうそうりん)として各地から集まる道士を収容し、戒壇(かいだん)を設け授戒をして資格を与えた。明の正統版道蔵(どうぞう)をもつ屈指の大道観として知られたが、革命後は兵営に転用されていたのを、1981年から修理に着手、翌々年より一般にも開放され、観内では若い道士の養成も始められている。[澤田瑞穂]
『小柳司氣太著『白雲観志――附東嶽廟志』(1934・東方文化学院東京研究所) ▽吉岡義豊著『道教の研究』(1952・法蔵館)』

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世界大百科事典内の白雲観の言及

【道観】より

…唐代になると太清宮などとくに大きな道観を宮と称するようになった。全真教が成立した金以降は,天下の道観は北京の白雲観を総本山とする全真教系と,江西省の竜虎山を総本山とする天師道系とに大別されている。【麦谷 邦夫】。…

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