日本歴史地名大系 「長柄神社」の解説 長柄神社ながらじんじや 奈良県:御所市名柄村長柄神社[現在地名]御所市大字名柄旧名柄(ながら)街道と水越(みずこし)街道の交差点東方に鎮座。俗に姫之(ひめの)宮とも称し、「延喜式」神名帳葛上(かつじよう)郡にみえる「長柄神社鍬靫」とされる。祭神は下照姫(したてるひめ)命となっているが、八重事代主(やえことしろぬし)命とする説(特選神名牒)もある。「新撰姓氏録」大和国神別に長柄首は天乃八重事代主(あめのやえことしろぬし)神の後裔とみえる。旧村社。創祀年代は不詳であるが、「日本書紀」天武天皇九年(六八〇)九月九日条に「朝嬬(あさづま)に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜(ながらのもり)に看す」とみえ、応永二五年(一四一八)の吐田庄注進文(大和志料)にも「ナカラノミヤ」と記し、坪付は現在地とほぼ一致する。 長柄神社ながらじんじや 群馬県:邑楽郡邑楽町篠塚村長柄神社[現在地名]邑楽町篠塚篠塚(しのづか)集落の中央に鎮座。祭神は事代主命・藤原長良など。旧郷社。「上野国神名帳」諸本の「邑楽郡十五座」の冒頭にある正一位長柄明神は当社といわれる。当社の所在地は古代長柄郷(和名抄)の中心で、長柄首の族類がこの地に住み、祖神を祀り長柄明神と称したといい、元慶五年(八八一)藤原長良の神霊を大和国より勧請したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by