長渡路村(読み)ながとろむら

日本歴史地名大系 「長渡路村」の解説

長渡路村
ながとろむら

[現在地名]友部町長兎路ながとろ

涸沼ひぬま川左岸にあり、東は仁古田にこだ村、南は上安居かみあご(現岩間町)。長兎路村とも記す。中世は宍戸氏の支配下にあり、村内に同氏配下の館があったといわれる。文禄元年(一五九二)から佐竹氏領、慶長七年(一六〇二)に秋田氏領となり、同年の御知行之覚(秋田家文書)に村高三四三・〇五石と記される。正保二年(一六四五)秋田氏移封後は天領旗本領となり、幕末は旗本安藤氏領であった(各村旧高簿)


長渡路村
ながどろむら

[現在地名]浄法寺町御山おんやま

安比あつぴ川の沖積地を中心に山間・丘陵地に位置する。南東長流部おさるべ村、北は福田ふくだ(現二戸市)正保国絵図に長瀞村とみえ、高七五石余。「雑書」承応二年(一六五三)一〇月六日条に「なかとろ」からの漆の年貢納入が記される。江戸時代を通じて盛岡藩領であったが、元禄七年(一六九四)から宝永三年(一七〇六)まで、新田分五石余が五代藩主南部行信の弟旗本南部勝信領となる(郷村古実見聞記)


長渡路村
ながとろむら

[現在地名]伊奈村長渡呂ながとろ

青木あおき村東南、小貝こかい川東岸に位置。「寛文朱印留」によれば下総佐倉藩大給松平氏領と堀田正俊(のち古河藩主)領の相給であったが、享保三年(一七一八)に土浦藩土屋氏領となり廃藩置県に及ぶ。「各村旧高簿」には長渡呂村とあり、明治元年(一八六八)の村高三二三・三八一石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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