長溝郷(読み)ながみぞごう

日本歴史地名大系 「長溝郷」の解説

長溝郷
ながみぞごう

和名抄」は高山寺本・東急本とも長源郷とし、訓を欠いている。だが、古来、源は溝の誤字であろうとされている。天平一九年(七四七)大安寺伽藍縁起并流記資財帳の諸国の庄をあげたなかに、「摂津国一処 在西城郡長溝郷庄内地二町、東田、西海即船津、南百姓家、北路之限」とある。西城郡は西成郡のことで、当時、難波なにわ(現東区)難波京が存在していたことを意識し、賀字をあてたものであろう。長源郷を長溝郷とすると、右の四至記載に明らかなように、西は海に接し、船津つまり船着場すなわち港がおかれていたことになる。


長溝郷
ながみぞごう

原野谷はらのや川東岸の現長溝を遺称地とする郷。貞治元年(一三六二)と推定される一〇月一九日付西園寺実俊施行状(熊野速玉神社文書)で、西園寺実俊が熊野山新宮造営料所である遠江国吏務職に関する訴訟幕府に伝達したが、そのなかに「長溝郷」として二〇石二升八合とあるのが早い。その後永禄一二年(一五六九)徳川家康が牧野源介に長溝之郷一二〇貫文を安堵しており(同年正月一一日「徳川家康判物」早稲田大学荻野研究室所蔵文書)、また同年に今川氏真光明こうみよう(現天竜市)別当に寄進した寺領のなかに長溝郷七段が含まれていた(同年三月二三日「今川氏真判物」光明寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android