長谷川仁(読み)ハセガワ ジン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「長谷川仁」の解説

長谷川 仁
ハセガワ ジン


肩書
元・参院議員(自民党)

生年月日
大正8年4月13日

出生地
茨城県

学歴
上智大学新聞学科〔昭和13年〕卒

経歴
同盟通信を経て昭和21年産経新聞に入社香港、台湾各支局長、東南アジア総局長などを歴任して、36年東京本社論説委員に就任。37年参院議員に当選し、43年再選。その間に防衛政務次官、参院外務委員長、参院沖縄及び北方問題特別委員長などを務めた。著書に「中国の運命を決する百人」「知らなすぎる中国」「ガンよ妻を返せ」他がある。

受賞
韓国一等修交勲章〔昭和45年〕 中国民国大綬景星勲章〔昭和47年〕 チャイナアカデミー名誉文学博士号〔昭和47年〕 勲二等瑞宝章〔平成1年〕

趣味
ゴルフ

没年月日
平成6年3月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「長谷川仁」の解説

長谷川 仁
ハセガワ ジン

昭和期の画商 日動画廊創業者。



生年
明治30(1897)年10月9日

没年
昭和51(1976)年10月27日

出生地
茨城県笠間市

学歴〔年〕
明治学院神学部〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
フランス芸術文化勲章コマンドール章

経歴
牧師を経て、昭和3年洋画商の道に入り、6年東京有楽町に東京画廊を開設。9年日動画廊と改称藤田嗣治をはじめ、海老原喜之助児島善三郎の最初の個展を開催するなど新人、中堅画家に広く門戸を開放した。47年故郷の笠間市に笠間日動美術館を開設。48年にはパリ支店を開く。洋画壇の発展に貢献するとともに、近代洋画の移入にも尽力した洋画商の草分け的存在。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川仁」の解説

長谷川仁 はせがわ-じん

1897-1976 昭和時代の画商。
明治30年10月9日生まれ。教会牧師などをへて,昭和3年画商の道にはいる。6年東京銀座に東京画廊(現日動画廊)を開設し,洋画壇の発展につくした。47年郷里茨城県笠間(かさま)市に笠間日動美術館をひらいた。日本洋画商協同組合理事長。昭和51年10月27日死去。79歳。明治学院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長谷川仁」の解説

長谷川 仁 (はせがわ じん)

生年月日:1897年10月9日
昭和時代の画商。日動画廊創業者
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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