昭和期の洋画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
洋画家。鹿児島に生まれる。中学時代に上京して川端画学校に学ぶ。19歳の時に渡仏し,はじめ藤田嗣治に師事。サロン・ドートンヌに入選するころから注目され,1929年にはサロン・ド・レスカリエ第10回展に招待され,《姉妹ねむる》など14点を出品。フランドル絵画に影響されて雪景の連作を描く。またジャコメッティやカンピーリらと親交を結ぶ。34年帰国。第5回独立美術協会展に《曲馬》を出品して日本の美術界に登場。骨太の造形性をもつ斬新な作品は,戦後の具象絵画をリードするにふさわしく,数々の賞を受けた。《船を造る人》(1956,第1回グッゲンハイム国際美術賞展),《雨の日》(1964)は,ダイナミックな造形思考が集約された作品といえる。
執筆者:酒井 忠康
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洋画家。鹿児島市に生まれる。中学校卒業後上京し、有島生馬(いくま)に師事、川端画学校に通う。1923年(大正12)渡仏して藤田嗣治(つぐじ)の薫陶を受け、翌年サロン・ドートンヌに出品。パリでカンピーリ、ジャコメッティと三人展を開いたり、サロン・デ・ザンデパンダンなどに出品。34年(昭和9)帰国、翌年独立美術協会の会員となる。第二次世界大戦後15年間熊本に住み、海老原美術研究所を主宰する。51年(昭和26)『殉教者』が文部省買い上げ。日本国際美術展において、57年『燃える』が国立近代美術館賞、59年『蝶(ちょう)』が最優秀賞を受け、翌年第1回毎日芸術賞、また63年の『雨の日』ほかにより芸術選奨文部大臣賞を受賞。知性的具象絵画の代表作家だったが、昭和45年9月19日パリで没した。
[小倉忠夫]
『『現代日本の美術9 海老原喜之助他』(1976・集英社)』
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