朝日日本歴史人物事典 「長連竜」の解説
長連竜
生年:天文15(1546)
安土桃山・江戸時代前期の武将。続連の子。鎌倉時代に能登大屋荘(石川県輪島市)の地頭となって土着した長谷部氏を略して長氏という。天正5(1577)年,主家畠山氏の拠城七尾城(七尾市)が上杉謙信に囲まれた際,重臣遊佐続光らは降伏に反対した父続連,兄綱連を謀殺し開城したが,連竜はこれより先織田信長に援軍を請うため城を脱出していた。援軍はすぐにはこなかったが,同8年信長の家臣柴田勝家が加賀(石川県)に侵攻すると,連竜は七尾城に仇敵温井景隆を攻めて降伏させ,信長から能登国鹿島半郡をあてがわれた。また翌年6月には続光を捜し出して父と兄の仇をとり,同年8月,前田利家が能登一国を与えられるとその与力となった。利家は連竜を「我等一人を守り律義人」と評し,信頼を寄せている。江戸時代,長氏は代々,加賀藩第2位の禄高3万3000石を誇った。<参考文献>『加賀藩史料』1編
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報