知恵蔵 「減反政策」の解説
減反政策
コメの生産調整は、1960年代末にコメの生産が過剰となり古米の在庫増加が問題視される中で、国が生産目標量を定めて休耕・転作を奨励する対策として始まり、数年ごとに見直されて継続してきた。95年に食糧管理法が廃止され食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)が施行されると、生産調整はコメの需給均衡を図り価格を安定させる手段と位置付けられた。しかし、需要に応じた生産対応が進まない点や、生産調整への参加・不参加による不公平感、米価が下落し続けている点などの問題があり、2009年1月、当時の石破茂農林水産大臣が見直しの必要性に言及したことから、生産調整のあり方が議論された。その後の民主党政権の戸別所得補償制度では、生産調整の不参加者に対するペナルティーが廃止され、所得補償の補助金を受けずに自由に生産する選択肢ができた。更に政権交代を経て、13年に国が地方自治体を通じて農家ごとに主食米の生産量を割り当てて価格を維持する減反を5年後に廃止する方針を決定。生産調整に参加する農家への補助金を段階的になくすと同時に、転作補助金を増やして米価の急落を防ぎながら、農業者が自らの経営判断で生産できる農業を打ち出した。これにより18年産から国による目標量の配分はなくなったが、自治体や農協などが中心となり生産量の目安を示して急な増産を避けている。
(原田英美 ライター/2018年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報