閔妃虐殺事件(読み)びんひぎゃくさつじけん

旺文社世界史事典 三訂版 「閔妃虐殺事件」の解説

閔妃虐殺事件
びんひぎゃくさつじけん

1895年10月,日本の朝鮮公使三浦梧楼を首謀者とする暗殺部隊が,朝鮮国皇后閔妃を景福宮で虐殺した事件
閔氏政権のロシアへの接近と,それによる日本の勢力後退を恐れた三浦は,日本守備隊・公使館員・大陸浪人などを集めて王宮侵入,宮内大臣李耕植らを殺害したのち,閔妃を殺害して遺体を焼却した。これは当時国際的な問題となり,三浦らは日本での裁判で無罪とされたが,朝鮮国内では日本の侵略に反対する義兵闘争が始まった。

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世界大百科事典(旧版)内の閔妃虐殺事件の言及

【閔妃】より

…このため,勢力後退で焦燥感にかられた日本の手によって殺された。
[閔妃虐殺事件]
 1895年,日本公使三浦梧楼の指揮により日本軍人・大陸浪人らの手で閔妃が殺害された事件。三国干渉を契機として復活した閔氏政権の排日政策に対抗して勢力挽回を図った三浦は,10月8日早朝,ソウル駐在の日本守備隊および岡本柳之助安達謙蔵ら日本人壮士のグループに命じて景福宮を襲撃させた。…

※「閔妃虐殺事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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