日本大百科全書(ニッポニカ) 「乙未事変」の意味・わかりやすい解説
乙未事変
いつみじへん
閔妃(びんひ)虐殺事件ともいう。1895年(乙未)10月8日未明、駐韓公使三浦梧楼(ごろう)指揮の下に日本官憲と大陸浪人らがソウルの景福宮に乱入し、反日派の中心と目された高宗の妃閔妃を殺害した事件。日清(にっしん)戦争後、日本は軍事力を背景に朝鮮の支配を強化し、経済的利益を独占しようとした。しかし朝鮮政府内でも、これに抵抗し、三国干渉などで公然と日本に対立してきたロシアと結んで、日本の侵略を阻止しようとする動向が表面化してきた。そこで事態を一挙に打開しようと閔妃を虐殺した。しかし、かえって朝鮮人の民族闘争を激化させ、国際的な非難を浴びた。日本は関係者を召還し、裁判にかけたが、全員証拠不十分のため無罪として釈放した。
[宮田節子 2022年5月20日]