関東分国(読み)かんとうぶんこく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「関東分国」の意味・わかりやすい解説

関東分国
かんとうぶんこく

鎌倉時代,朝廷から将軍家に与えられた知行国。将軍家は知行国主として国衙 (こくが) を支配し,御家人国司に任じて国務をとった。源頼朝が,幕府財政の基盤として領した国は,『吾妻鏡』文治2 (1186) 年の条によれば,駿河,伊豆,相模上総下総,武蔵,信濃越後豊後の9ヵ国であった。室町時代には鎌倉府が管掌した関東8ヵ国 (武蔵,相模,安房,上総,下総,常陸,上野,下野) と甲斐,伊豆をいった。

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世界大百科事典(旧版)内の関東分国の言及

【東国】より

…この対立は観応の擾乱(かんのうのじようらん)のさいの直義派と高師直(こうのもろなお)派との対立として表面化し,幕府が安定したのちも鎌倉公方(鎌倉府)と室町公方(室町幕府)との対立として長くあとをひいた。こうした東西の対立の中で,〈関東分国〉といわれた鎌倉府の管轄地域も変動があって,観応の擾乱前後,駿河や信濃が関東10ヵ国に加えられたこともあり,逆に武蔵を闕(か)いたこともあった。しかし1392年(元中9∥明徳3)陸奥,出羽が加わり,永享の乱(1438)による鎌倉府崩壊まで,関東10ヵ国にこの2国を加えた12ヵ国が,鎌倉府によって統轄されたのである。…

※「関東分国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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