ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「関東分国」の意味・わかりやすい解説
関東分国
かんとうぶんこく
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…この対立は観応の擾乱(かんのうのじようらん)のさいの直義派と高師直(こうのもろなお)派との対立として表面化し,幕府が安定したのちも鎌倉公方(鎌倉府)と室町公方(室町幕府)との対立として長くあとをひいた。こうした東西の対立の中で,〈関東分国〉といわれた鎌倉府の管轄地域も変動があって,観応の擾乱前後,駿河や信濃が関東10ヵ国に加えられたこともあり,逆に武蔵を闕(か)いたこともあった。しかし1392年(元中9∥明徳3)陸奥,出羽が加わり,永享の乱(1438)による鎌倉府崩壊まで,関東10ヵ国にこの2国を加えた12ヵ国が,鎌倉府によって統轄されたのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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