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関釜連絡船 かんぷれんらくせん

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大辞林 第三版の解説

かんぷれんらくせん【関釜連絡船】

山口県下関と朝鮮の釜山との間を連絡していた鉄道省連絡船。1905年(明治38)に開業し、第二次大戦の終戦と同時に事実上営業中止。現在、民間の関釜フェリーが就航している。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんぷれんらくせん【関釜連絡船】

下関と朝鮮の釜山を結ぶ航路に就航した船。1905年9月,日露戦争に勝利した日本が山陽線と朝鮮の京釜鉄道(京城~釜山)を連結し,さらに南満州鉄道とつなぐことによって朝鮮支配および中国進出のための運輸機関として,この定期航路を開設した。山陽鉄道(株)の付帯事業として開始されたが,翌06年には山陽鉄道とともに国有となり壱岐丸が就航した。その後高麗丸,新羅丸,景福丸,徳寿丸,昌慶丸,金剛丸,興安丸などの貨客船が運航され,数多くの旅客と貨物を運び,関釜連絡船は45年8月の日本の敗戦まで40年間運航された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

関釜連絡船
かんぷれんらくせん

第二次世界大戦終了まで下関(しものせき)と朝鮮の釜山(ふざん/プサン)を結ぶ航路に就航していた鉄道連絡船。この定期航路は1905年(明治38)9月、山陽鉄道株式会社が付帯事業として開設した。翌年山陽鉄道とともに国有化され、山陽線と京釜(けいふ)鉄道を結び、旧満州さらにはヨーロッパに連絡する国際幹線路の一部として政治・軍事・経済的に重要な役割を果たした。最初の就航船は壱岐(いき)丸、対馬(つしま)丸(どちらも1680トン)で、所要時間は11時間半。1922年(大正11)には景福丸と徳寿丸、翌23年に昌慶丸(どちらも3600トン級)の大型船が建造され、36年(昭和11)には金剛丸、翌37年に興安丸(どちらも7000トン級)の高速豪華客船が就航し、所要時間も7時間半と短縮された。なお、1970年以降は関釜フェリーが就航している。[松澤正二]

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