阪東秀代(読み)バンドウ ヒデヨ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「阪東秀代」の解説

阪東 秀代(初代)
バンドウ ヒデヨ


職業
舞踊家

本名
川澄 ウラ

生年月日
文政10年

出生地
江戸(東京都)

経歴
幕臣の娘として江戸で生まれたが、一説には名古屋出身ともいう。舞踊家の二代目阪東しうかに師事天保14年(1843年)より阪東秀代を名乗って江戸市村座の舞台に立つ。弘化3年(1846年)名古屋に移り、裏長屋で舞踊を教えるが、たちまち多くの弟子が集まり、安政4年(1857年)には門弟で女芝居の一座結成。その芸は高雅で、夫の歌舞伎俳優・中村宗十郎や初代西川鯉三郎らにも舞踊の奥義を伝授し、彼らの後年大成を裏付けたといわれている。のち夫に従って大阪に赴くが、間もなく名古屋の裏長屋に戻り、女芝居と舞踊教授で生計を立てた。

没年月日
明治33年 7月28日 (1900年)

家族
夫=中村 宗十郎(歌舞伎俳優)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阪東秀代」の解説

阪東秀代(初代) ばんどう-ひでよ

1827-1900 幕末-明治時代の舞踊家。
文政10年生まれ。中村宗十郎の妻。幕臣の娘。2代坂東しうかの門人となり,天保(てんぽう)14年(1843)阪東秀代の名で江戸市村座に出演。23歳で名古屋にうつり舞踊教授となる。初代西川鯉三郎をおしえ,夫にも舞踊の奥義をつたえた。明治33年7月28日死去。74歳。本名は川澄ウラ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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