中村宗十郎(読み)ナカムラ ソウジュウロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中村宗十郎」の解説

中村 宗十郎
ナカムラ ソウジュウロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
藤井 重兵衛

別名
初名=嵐 亀蔵,前名=中村 歌女蔵,三桝 源之助(3代目)(ミマス ゲンノスケ),俳名=霞仙

屋号
末広屋

生年月日
天保6年

出生地
尾張国熱田富江町(愛知県)

経歴
田舎回りの旅役者から出発し、実力が認められて、やがて明治期の京阪劇壇の重鎮にまで出世した立志伝中の名優。18、9歳で田舎芝居の俳優となり、大坂に出て中村翫雀(2代目)に入門。嵐亀蔵、中村歌女蔵を経て、三桝大五郎婿養子となり三桝源之助を襲名するが、のち離縁、慶応元年中村宗十郎と改名した。以後、明治初年にかけて腕を上げ、初代実川延若と人気を争った。6年東上して好評を得、8年帰阪。9年劇場改革を提案してしりぞけられると俳優を辞め、一時大坂で呉服屋に転向するが、10年新富座に誘われて東上、市川団十郎(9代目)と人気を争った。14年帰阪後は初代延若と共に京阪劇壇の最高峰として活躍、延若没後は事実上の重鎮となった。また劇界の慣習の近代化にも尽力。写実的な芸風で、和実を得意とし、立役の他、敵役、女形、老役をも兼ねた。

没年月日
明治22年 10月8日 (1889年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「中村宗十郎」の意味・わかりやすい解説

中村宗十郎 (なかむらそうじゅうろう)

(1)江戸中期の歌舞伎俳優。生没年不詳。1720年(享保5)大坂竹嶋幸左衛門座で初舞台。次の年江戸に下って中村四郎三郎と称するが1年で帰り,43年(寛保3)まで大坂で活躍した立役。実悪も兼ねた。(2)幕末・明治の歌舞伎俳優。本名藤井重兵衛(1835-89・天保6-明治22)。俳名千昇,霞仙。屋号末広屋。(1)とは無関係。尾張熱田富江町に生まれ,幼時から遊芸の稽古に励み,17,18歳で役者を志して田舎回りの嵐亀太郎の弟子となる。大坂に出て中村翫雀に入門,4世三枡大五郎の女婿となり,1860年(万延1)3世三枡源之助をつぐ。のち中村雀右衛門の庇護をうけ,65年(慶応1)中村宗十郎と改名した。以後大坂を本拠とし,74年には中座の座頭となり,76年から5年間に及ぶ東京滞在中は9世市川団十郎と人気を争い,帰阪後は実川延若と並ぶ京阪劇壇の最高峰として活躍,劇界刷新にも努めた。和実を得意とし,女方,敵役,老け役も兼ねた。当り役は《心中天の網島》の治兵衛など。
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朝日日本歴史人物事典 「中村宗十郎」の解説

中村宗十郎

没年:明治22.10.8(1889)
生年:天保6(1835)
幕末明治期の歌舞伎役者。本名藤井重兵衛。俳名霞仙。屋号末広屋。尾張熱田生まれ。17歳ごろ嵐亀蔵の名で芝居の道へ入る。のち中村歌女蔵。上坂して宮地の中芝居に出,4代目三枡大五郎の女婿となり,3代目三枡源之助を名乗ったが,慶応1(1865)年不縁となり名跡を戻し,中村宗十郎と改名した。以後明治初年にかけてめきめき腕を上げ,「花雪恋手鑑」(「乳貰い」)の四郎次郎や「心中天網島」(「のべの書置」)の紙屋治兵衛で大当たりをとり,初代実川延若と激しく人気を争った。明治6(1873)年東上して好評を得,同8年帰阪。翌年劇壇の改革案を他の役者に示して容れられず,一旦は役者を廃業。しかし同10年12代目守田勘弥に乞われて上京し,新富座に出て団菊左に一歩も譲らぬ名演を見せた。しかし9代目市川団十郎の活歴趣味と相容れず,4年後帰阪。以後道頓堀の座頭として重きをなした。新時代の俳優として見識すぐれ,その和事も技巧より真実の表現をめざした。晩年に力を入れた演劇改良運動も頓座はしたが,角藤定憲,川上音二郎らの新派に大きな影響を与えた。なお,上方には享保・元文期(1716~41)にも中村宗十郎と名乗る立役がいたが別系である。

(青木繁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村宗十郎」の意味・わかりやすい解説

中村宗十郎
なかむらそうじゅうろう
(1835―1889)

歌舞伎(かぶき)俳優。本名藤井重兵衛。屋号末広屋。俳名霞仙(かせん)。名古屋生まれ。17、8歳のころ歌舞伎俳優になろうと志し、田舎(いなか)回りの旅役者から出発して修業のすえ、実力が認められて、やがて明治期の京阪劇壇の重鎮にまで出世した立志伝中の名優。嵐亀蔵(あらしかめぞう)、中村歌女蔵(かめぞう)、三枡(みます)源之助(3世)を経て、1865年(慶応1)中村宗十郎と改名。東京の9世市川団十郎に対して、関西における演劇改良運動を実践した。団十郎の「活歴(かつれき)」などのような急進主義をとらず、漸進主義を唱え、劇場内外の慣習の近代化にも力を注いだ。写実的な芸風で、和実(わじつ)を得意とし、立役(たちやく)のほか敵(かたき)役、女方(おんながた)、老(ふけ)役をも兼ねた。

[服部幸雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中村宗十郎」の意味・わかりやすい解説

中村宗十郎
なかむらそうじゅうろう

[生]天保6(1835).尾張
[没]1889.10.8.
歌舞伎俳優。本名藤井重兵衛。屋号末広屋。嵐亀蔵,歌女蔵,三桝源之助を名のったが,慶応1 (1865) 年中村宗十郎と改名。地方の小芝居で有名となり,1873年東上し好評を得,75年帰阪して中の芝居の座頭をつとめた。武道,実事を得意とし,時代物,世話物ともによく,品があって写実に長じた。当り役は『伊賀越道中双六』の重兵衛,政右衛門,『心中紙屋治兵衛』の治兵衛,『近江源氏先陣館』の盛綱など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村宗十郎」の解説

中村宗十郎(2) なかむら-そうじゅうろう

1835-1889 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)6年生まれ。嵐亀蔵,中村歌女蔵(かめぞう)を名のり,のち4代三桝(みます)大五郎の婿養子となり3代三桝源之助を襲名。慶応元年中村宗十郎と改名。劇壇改革をとなえ一時役者を廃業した。明治22年10月8日死去。55歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本名は藤井重兵衛。俳名は霞仙。屋号は末広屋。

中村宗十郎(1) なかむら-そうじゅうろう

?-1748? 江戸時代中期の歌舞伎役者。
伊勢(いせ)(三重県),尾張(おわり)(愛知県)などの旅芝居をへて,享保(きょうほう)5年大坂で中村宗十郎と名のり初舞台。6年江戸にいき中村四郎三郎と名のる。のち上方にかえり旧名にもどした。立役(たちやく),敵役(かたきやく),実悪(じつあく)をかねた。寛延元年?死去。俳名は大吉。通称は大吉宗十郎。

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