防衛力整備計画(読み)ぼうえいりょくせいびけいかく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「防衛力整備計画」の意味・わかりやすい解説

防衛力整備計画
ぼうえいりょくせいびけいかく

自衛隊装備の拡充計画。 1954年,防衛庁が設置され,陸海空の3自衛隊が発足した。しかし防衛力整備計画の発足は遅れ,57年5月国防会議決定した「国防の基本方針」に基づき,58年度から第1次3ヵ年計画が実施された。計画内容は,陸上自衛官 18万人,海上艦艇約 12万t,航空機 1300機だった。第2次防衛計画は 62~66年度の5ヵ年計画,3次防は 67~71年度まで,4次防が 72~76年度であった。3~5年の年限を区切ってつくられた防衛力整備計画はこの4次防で終り,77年度以降は前年 10月に国防会議および閣議で決定された「防衛計画の大綱」に沿って進められることになった。これは4次にわたる整備計画によって量的整備はほぼ達成されたとし,77年度以降は質的改善を進めるとの考え方による。この大綱の考え方に沿って 85年「中期防衛力整備計画」 (中期防) が閣議決定され,続いて中期防 (平成3~7年度) が 91年に閣議決定された。その後冷戦終結と財政事情の悪化から 92年 12月に中期防の修正が行われ,全体として抑制的なものとなった。ちなみに大綱が想定する平時における自衛隊の規模は,陸上自衛隊 12個師団と2個の混成団,海上自衛隊4個護衛隊群 (1群6~7隻) ,航空自衛隊 10個要撃戦闘機部隊,3個支援戦闘機部隊である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「防衛力整備計画」の意味・わかりやすい解説

防衛力整備計画
ぼうえいりょくせいびけいかく

防衛庁(現、防衛省)が作成していた、日本の防衛力の複数年(第一次は3年間、第二次以降は5年間)にまたがる整備計画。1957年(昭和32)決定の第一次(1958~1960年度)から第四次(1972~1976年度)まで実施された。1978年度からは中期業務見積り(中業)を3年ごとに作成することになり、1986年度からは政府計画として中期防衛力整備計画(中期防)を策定している。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「防衛力整備計画」の解説

防衛力整備計画
ぼうえいりょくせいびけいかく

第2次大戦後の自衛隊の装備・経費についての5カ年を基準とする政府計画。鳩山内閣期から策定が進められ,1957年(昭和32)6月,岸内閣のもとで国防会議が第1次防衛力整備計画(一次防,58~60年度間の3カ年計画)を決定。以後,61年度の単年度計画をへて,二次防・三次防・四次防(62~76年度間のそれぞれ5カ年計画)が連続的に策定・実施された。その後固定的計画のもつ硬直性が目標の達成を困難にするとして,77年度から「防衛計画の大綱」にもとづく単年度方式に移行。一時,中長期計画作成は防衛庁の部内作業となったが,85年に事業の継続性を保つ必要などから,翌年度以降を対象とする5カ年・政府計画方式の中期防衛力整備計画(中期防)が再び策定された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の防衛力整備計画の言及

【防衛関係費】より


[防衛関係費の動き]
 自衛隊の発足は1954年7月であったが,翌55年度の防衛関係費をみると,当初予算額は1349億円,その対一般会計歳出比は13.6%,対GNP比は1.78%であった。その後ほぼ横ばいで推移した防衛関係費の絶対額は,第1次防衛力整備計画(1次防)以降,顕著な増勢を示した。ちなみに1次防(1958‐60年度)は,予定される在日アメリカ軍の撤収をカバーできるだけの〈骨幹的防衛力〉の構築を主眼とした。…

※「防衛力整備計画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android