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阿塔海 あとうかいA-ta-hai

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

阿塔海
あとうかい
A-ta-hai

[生]太祖6(1234)
[没]至元26(1289)
元の世祖時代の武将。モンゴル人。南宋討伐の功により左丞相となり,至元 18 (1281) 年世祖の第2次日本遠征に,范文虎とともに江南軍を率いて攻めてきたが,暴風にあい,船は全滅し,かろうじて帰国した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

阿塔海 あとうかい

アタハイ

阿塔海 アタハイ

1234-1289 元(げん)(中国)の武将。
太宗6年生まれ。元のフビライ(世祖)の臣。1281年征収日本行省(こうしょう)の右丞相(うしょうじょう)となり,江南軍10万をひきいて慶元(寧波(ニンポー))より日本にむかったが,暴風雨にあい遠征に失敗(弘安(こうあん)の役)。1283年ふたたび右丞相に任じられたが,遠征は中止となった。至元26年2月死去。56歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

阿塔海

没年:至元26.2(1289)
生年:元太宗6(1234)
中国元代の武将,弘安の役の江南軍の最高指揮官。中国語読み「アタハイ」。モンゴル人。遜都思氏。父は卜花。諡は武敏。南宋の討伐に活躍し,南宋降伏後は左丞相として臨安(杭州)を治める。至元17(1281)年病気の阿刺罕に代わり,征収日本行省右丞相に任じられ,同年6月慶元(寧波)から江南軍10万,戦艦3500艘を指揮して日本に遠征。大風に遭い,船は沈没して失敗(弘安の役)。1283年第3次の日本遠征が計画され,再び日本行省右丞相に任じられたが,計画は中止された。のち皇帝フビライの乃顔遠征に従う。死後,順昌郡王に追封された。<参考文献>山口修『蒙古襲来』,旗田巍『元寇』

(関周一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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