朝日日本歴史人物事典 「阿塔海」の解説
阿塔海
生年:元太宗6(1234)
中国元代の武将,弘安の役の江南軍の最高指揮官。中国語読み「アタハイ」。モンゴル人。遜都思氏。父は卜花。諡は武敏。南宋の討伐に活躍し,南宋降伏後は左丞相として臨安(杭州)を治める。至元17(1281)年病気の阿刺罕に代わり,征収日本行省右丞相に任じられ,同年6月慶元(寧波)から江南軍10万,戦艦3500艘を指揮して日本に遠征。大風に遭い,船は沈没して失敗(弘安の役)。1283年第3次の日本遠征が計画され,再び日本行省右丞相に任じられたが,計画は中止された。のち皇帝フビライの乃顔遠征に従う。死後,順昌郡王に追封された。<参考文献>山口修『蒙古襲来』,旗田巍『元寇』
(関周一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報