阿川浦(読み)あがわうら

日本歴史地名大系 「阿川浦」の解説

阿川浦
あがわうら

[現在地名]豊北町大字阿川 浦

阿川村のうら部分で、油谷ゆや湾口の南、阿川湾沿いに集落がある。現在は南方こうじがた北方きたがた唐樋新開からひしんかいに分れ、南方北方に港がある。

日和ひより山は現在地続きであるが、もとは離れ小島で、後方のまる山を掘り崩し、小浜を開作して築留めたものである。

伝承によれば最初湾内のたいの浦に四、五軒しかなかったが、のちにいま浦に移転、さらに対岸ほん浦に移ったという。ただしその頃も家数は一七軒にすぎなかったという。浦の観音堂には細川幽斎の歌と伝える「小皷の腹に調べや返すらん打音高し阿皷の白波」が掲げられるが、古くは阿皷あこの浦といったという伝えもある。

浦は漁業廻船業で栄えたが、嘉永二年(一八四九)に阿川浦に上陸した吉田松陰はその「廻浦紀略」に「阿川に至り本浦に繋船す。本浦今浦にて戸数百二十、寺三、浄土寺、海翁寺、善照寺と云ふ。上陸止宿す。阿川君の家臣北山十郎左衛門来る、阿川君の饗を致す」「阿川に至り、日和山の台場に登り、本浦東西及び今浦山の台場を遠見す」と記す。

慶長一五年(一六一〇)検地帳では浦屋敷三四、浦屋敷高一五石八斗三升、浦浮役四八石六斗、塩浜方一石六斗とあるが、「注進案」では海上石二〇石七斗があり、二〇七匁を銀納した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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