阿弥陀瀬村(読み)あみだせむら

日本歴史地名大系 「阿弥陀瀬村」の解説

阿弥陀瀬村
あみだせむら

[現在地名]柿崎町阿弥陀瀬

南は荻谷おぎのたに村と接し、北西柿崎かきざき村、南東川田かわた村がある。永禄元年(一五五八)上杉景虎(謙信)は翌年の上洛のために段銭を賦課し、一〇月晦日山田帯刀左衛門尉は「頸城郡夷守郷之内、河井村阿弥陀瀬益田分」七反の段銭を納入している(「庄田定賢等連署段銭請取状」歴代古案)。天正一四年(一五八六)から同二〇年の間の正月二八日の本願寺(顕如カ)印判状写(本覚坊文書)に「アミタせ村」とみえ、本願寺へ五〇疋(五〇〇文)懇志として送っている。


阿弥陀瀬村
あみだせむら

[現在地名]和島村阿弥陀瀬

若野浦わかのうら村の南、南に逆谷さかしだに(現三島町)、東に与板よいた(現与板町)への道が通じる。正保国絵図に高一八四石余で与板藩領。寛永一一年(一六三四)与板藩成立時から与板藩領。元文五年(一七四〇)の覚(「関守」与板町郷土資料館蔵)によると、藩から漬物わらび七分四厘が割付けられている。


阿弥陀瀬村
あみだせむら

[現在地名]村松町阿弥陀瀬

仙見せんみ川の扇状地の扇頂部に立地。東に川を挟んで熊沢くまのさわ村、北は下阿弥陀瀬村。正保国絵図に高四九石余、村松藩領。高は元禄郷帳でも変わらないが、天保郷帳では高二八八石五斗余と増加している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む