デジタル大辞泉 「阿礼」の意味・読み・例文・類語 あれ【×阿▽礼】 《動詞「あ(生)る」の連用形からか》賀茂の祭のときの幣帛へいはく。榊さかきに種々の綾絹あやぎぬや鈴などをつけたもの。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「阿礼」の意味・読み・例文・類語 あれ【阿礼】 〘 名詞 〙 ( 動詞「ある(現)」の名詞化で、神霊の出現するものの意 ) 幣帛(へいはく)の一種。大きい榊(さかき)に種々のあやぎぬを垂らし、鈴などを飾り付けたもの。賀茂祭に立てた。[初出の実例]「賀茂祭 下社、上社、松尾社〈略〉阿礼料、五色帛各六疋〈下社二疋、上社四疋〉盛阿礼料筥八合」(出典:延喜式(927)一五) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「阿礼」の解説 阿礼あれ 長崎県:下県郡厳原町阿連村阿礼古代よりみえる地名。「日本後紀」延暦二四年(八〇五)六月八日条に「六月五日臣船到対馬島下県郡阿礼村」とみえ、同二三年七月藤原葛野麻呂を大使とする第一六次遣唐使船四艘は五島田(ごとうた)浦(現福江市)から出航して渡海、翌年五月に唐を離れ、第一船は六月五日「下県郡阿礼村」に帰着している。船に留学僧の最澄が乗っていたことから、当地を伝教大師の到着地と伝える。中世は郡名としてみえるが、のち佐須(さす)郡に属する。文永四年(一二六七)二月二〇日の講師某注進状写(八幡宮文書)に記される「延命院 住持講師永賢」は当地の寺院と考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報