デジタル大辞泉
「陶山訥庵」の意味・読み・例文・類語
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陶山訥庵
すやまとつあん
[生]明暦3(1657)
[没]享保17(1732).6.14.
江戸時代中期の儒学者,農政家。名は存 (ながろう) ,字は士道,訥庵,鈍翁とも号した。対馬藩医玄育の長子として生れ,若くして出京,木下順庵に学んで帰国,18歳で対馬藩に仕え朝鮮支配佐役,郡奉行を歴任,享保5 (1720) 年に用人に昇進した。朝鮮支配佐役としては竹島の帰属をめぐる紛糾解決に功をあげ,郡奉行時代には,その学識を生かして農政振興に尽力,多大な効果を収めた。なかでも対馬藩農政上の積年の難問とされた野猪の撲滅に熱意を注ぎ,ついにこれを殲滅した話は広く知られる。この野猪殲滅は延べ 30万人の領民を動員するという大規模なもので,対馬全島を9つの区域に分け,北から南へ順次野猪を追いつめ8年余にして,ついに野猪による農害を一掃した。この野猪殲滅の顛末は彼の著わした『猪鹿追詰覚書』に詳しく述べられている。ほかに『訥庵雑録』『農政問答』『土穀談』『甘藷説』『老農類語』など多くの著書がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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