陸軍中野学校(読み)りくぐんなかのがっこう

日本大百科全書(ニッポニカ)「陸軍中野学校」の解説

陸軍中野学校
りくぐんなかのがっこう

旧日本陸軍の秘密戦教育のための学校。1938年(昭和13)設立。情報の収集、解析業務、防諜(ぼうちょう)業務、スパイ活動、謀略活動のための専門要員の養成を目的とし、予備士官学校、士官学校出身者、下士官養成のための教導学校出身者などから選抜した学生に必要な教育を施し、卒業後、特務機関や各司令部などに配属した。設立当初は後方勤務要員養成所と称されたが、東京の中野に移ったのち、40年に陸軍中野学校と改称され、さらに41年には、陸軍省の所管から参謀総長の所管する機関になった。その後、太平洋戦争期に連合軍の反攻が開始されるとゲリラ戦的抵抗の展開が必要とされるに至り、44年には、遊撃戦のための幹部要員の養成を目的として陸軍中野学校二俣(ふたまた)分校が設立されている。秘密戦の現実に対応するため中野学校の教育は、伝統的な軍学校教育の枠を超える一面を有していたといわれる。

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精選版 日本国語大辞典「陸軍中野学校」の解説

りくぐん‐なかのがっこう ‥なかのガクカウ【陸軍中野学校】

旧日本陸軍で、軍事諜報に関する知識技術を教え、軍事諜報員を養成した学校。陸軍省兵務局に新設された防衛課の兵務局分室の中に昭和一二年(一九三七)末につくられた後方勤務要員養成所がその前身。同一三年の一期生に始まる。東京都中野区に校舎があったところから呼ばれる。

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デジタル大辞泉「陸軍中野学校」の解説

りくぐん‐なかのがっこう〔‐なかのガクカウ〕【陸軍中野学校】

旧日本陸軍で、軍事諜報員(ちょうほういん)を養成した学校。昭和13年(1938)設立。東京中野にあった。中野学校。

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