劣弱な部隊が,戦場のみならず敵が保持支配する地域までも含む広範な地域にわたって隠密性に富むあらゆる手段を活用して,主力の作戦目的に寄与するよう攻撃的に行動する戦闘形態をいう。〈遊撃〉の語そのものは古くからある中国語で,神出鬼没な襲撃を意味した。ゲリラ戦とほぼ同義語であるが,ゲリラ戦が正規軍に属することを明示しないで対敵戦闘行動を行うのに対し,遊撃戦は一般に正規軍部隊の一部が主作戦に連携して行う戦闘・作戦形式の一つとされている。遊撃戦は,通常,主力から独立して行動する小部隊によって遂行され,奇襲,待伏せ等によって敵を攻撃し,迅速に退却して反撃を避けるという戦法によって小戦果の累積を追求するもので,その装備火器は小銃,自動銃,手榴弾,爆薬等,軽量・小型のものが主体であるが,時として火砲等重火器に及ぶこともある。敵の戦線の側方・後方が主要な活動舞台となり,警備の不十分な敵基地や部隊の施設,とくに兵器,燃料,弾薬等の物資集積所や後方兵站(へいたん)施設等,交通・通信の機関やそれらの要点,指揮中枢や指揮官等の要人および重要な公共施設などがその主要な攻撃目標となる。遊撃戦は航空劣勢下においても有効に遂行でき,とくに夜間がその好機であって,敵に与える心理的効果も大きく,現代戦においても依然として有用かつ効果的な戦闘形態である。地域内の気象や地形の熟知と住民の支援の獲得はさらに効果的な遂行を可能にする。
執筆者:茅原 郁生
遊撃戦は,中国の人民革命戦争の歴史においてきわめて重要な位置を占めた作戦方法であり,毛沢東の人民戦争理論・軍事路線の核をなすものである。中国では〈遊撃戦〉はそのような歴史的内容をもつものとして理解されている。遊撃戦は,〈運動戦〉〈陣地戦〉などの正規戦の作戦方法と異なり,強大な敵の兵力に対して人民大衆を動員しつつ自由に動きまわれる条件をつくり,小規模の兵力によって臨機応変・神出鬼没の戦闘を行う不正規の戦争の方法である。その基本原則は,〈敵が進めば我退き,敵が停まれば我攪乱し,敵が疲れれば我襲い,敵が退けば我追う〉である。中国共産党は,第2次国内革命戦争期,遊撃戦を主として農村革命根拠地を拡大していったが,国民党軍の包囲攻撃に対し,当時の党中央が遊撃戦を主とする毛沢東軍事路線を批判し,正規戦に作戦方針を転換したため,瑞金(ずいきん)と中央革命根拠地の放棄を余儀なくされた。抗日戦争期も,基本的には遊撃戦を主として日本軍と戦い,具体的な戦闘で大衆の積極性と創意が大いに発揮された。毛沢東は抗日遊撃戦争を戦略の地位にまで高め,遊撃戦の展開を通じて最後の勝利にいたる展望を明らかにした。抗日戦争期にも,有利な条件下では遊撃戦を運動戦に転化させ,正規戦と結合させたが,人民解放戦争期は正面から正規戦を遂行,遊撃戦は補助的役割を担った。
→ゲリラ
執筆者:石田 米子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「ゲリラ戦」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ナポレオンが1808年イベリア半島に出兵した時,スペインの農民たちは各地で抵抗し,彼らを5年にわたって半島に釘付けにした。この半島戦争はナポレオンのヨーロッパ征服を初めて中断させ,ひいてはナポレオン退位(1814)につながる予想外の政治的収穫をあげたことから,スペイン語で土匪(どひ)式の小戦闘を意味する〈ゲリリャguerilla〉という言葉が広く普及し,そうした待伏せ攻撃などの遊撃戦闘行為を行う者のこともゲリラと呼ぶようになった。フランス語で党派に属する者や仲間を指す〈パルチザンpartisan〉もゲリラと同義語として使われることがある。…
…中国革命史上の用語。遊撃戦争において,みずからの勢力を保存・発展させ,敵を消滅・駆逐し,その戦略的任務を達成するための基地。毛沢東の革命戦略思想に基づいて,1927年秋井岡山革命根拠地樹立以後,省境農村地帯に建設された。…
※「遊撃戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新