随念寺(読み)ずいねんじ

日本歴史地名大系 「随念寺」の解説

随念寺
ずいねんじ

[現在地名]岡崎市門前町

門前町北側の丘陵南側中腹に位置する。仏現山善徳ぜんとく院と号し、浄土宗鎮西派。本尊阿弥陀如来。もと大樹だいじゆ寺末。永禄五年(一五六二)七月徳川家康が、祖父清康・従祖母於久(久子)菩提を弔うため創建。清康は天文四年(一五三五)一二月五日に尾張守山もりやまに在陣中、家臣阿部弥七郎に殺害された。遺骸は岡崎へ運ばれ、当時菅生丸山すごうまるやまとよばれたこの地で荼毘に付し、遺骨を納めて墓を立て善徳院殿年叟道甫大居士と称した。永禄四年八月二日、於久が岡崎城中で没し、遺言によりこの地で荼毘に付し、遺骨を清康の墓側に納め法名常在院桂室泰栄大姉と称し、後随念院殿と改めた。於久は清康の妹(一説に姉)で、清康の養女として初め大給松平乗勝室となり、大永四年(一五二四)に乗勝が没したあと岡崎に帰り、翌年に足助あすけの鈴木重直に再嫁した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「随念寺」の解説

随念寺

(愛知県岡崎市門前町91)
ふるさとの森指定の地域遺産。
面積5,150【m2

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報