雁多尾畑村(読み)かりんどうばたむら

日本歴史地名大系 「雁多尾畑村」の解説

雁多尾畑村
かりんどうばたむら

[現在地名]柏原市雁多尾畑

大和川の亀瀬かめのせ峡谷から北へ、青谷あおたに村を通って山を登る。標高二〇〇―二五〇メートルほどのところ、南に面した高原状の地にある。北方、一山越えたところに本堂ほんどう村がある。産土神は式内社金山媛かなやまひめ神社(神名帳には「金山孫女神社」とある)で、鉱山の神。村の上手の山中では鉄鐸が採集されている。地名の雁多尾は、当地にある松谷光徳こうとく寺の本堂雁林かりん堂ということからともいわれる。寛喜己丑年(一二二九)年紀のある光徳寺の鐘銘に雁林堂の名がみえる。ただしこれは江戸時代に鋳造された鐘に施された旧銘なので、銘文は鋳造時の作為の可能性もあるとされる。一方、新福しんぷく(廃寺)の鐘銘には「雁多尾」の地名がみえる。これは「河内志」に「新福廃寺地蔵堂」と書かれる今の真福しんぷく寺に伝わる。銘には「河内国大方郡雁多尾新福寺鐘 乾元二年四月八日鋳之」とある。この新福寺を叡尊の「感身学正記」文永六年(一二六九)条にみえる新福寺に比定する説もある。またこの鐘には正平二二年(一三六七)七月七日の追銘もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む