美智子(読み)みちこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「美智子」の意味・わかりやすい解説

美智子
みちこ
(1934― )

皇后。昭和9年10月20日、日清製粉(にっしんせいふん)社長正田英三郎(しょうだひでさぶろう)(1903―1999)の長女として東京に生まれる。1957年(昭和32)聖心女子大学英文科卒業。1958年11月27日、当時皇太子であった明仁(あきひと)と婚約、翌1959年4月10日結婚。初めての民間出身の妃であることから、爆発的な「ミッチー・ブーム」が起こる。結婚の儀と馬車パレードの模様はテレビで生中継され、テレビ需要が急増した。この結婚は、皇太子教育掛の小泉信三天皇家のイメージ・チェンジを図るために推進したものといわれる。その後、皇太子とともに各国歴訪、諸行事の参加を精力的に行う。1989年(平成1)1月7日明仁の皇位継承に伴い皇后となる。浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)(1960年生まれ。徳仁天皇)、礼宮文仁(あやのみやふみひと)(1965年生まれ、秋篠宮(あきしののみや))、紀宮清子(のりのみやさやこ)(1969年生まれ、2005年結婚により皇籍離脱)の2男1女をもうけた。

[小田部雄次]

 2019年4月30日明仁の退位に伴い上皇后となった。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美智子」の意味・わかりやすい解説

美智子
みちこ

[生]1934.10.20. 東京,東京
第125代天皇明仁皇后在位 1989~2019)。日清製粉社長の正田英三郎の長女として生まれる。戦時中は館林などへ疎開。敗戦後,東京に戻り,聖心女子学院中等科へ入学,同高等科,聖心女子大学へと進学する。大学時代には,全学自治会会長(プレジデント)を務めた。1959年4月10日,皇太子明仁と結婚,民間初の皇太子妃となり,このとき「ミッチー・ブーム」と呼ばれる社会現象が起こった。2男 1女をもうける。みずから子育てを行なうなど,それまでの皇室慣習を変化させた。1989年1月7日,明仁が天皇即位したため皇后となる。天皇とともに兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)などの被災地訪問や戦没者慰霊の旅を続けた。1993年,それらに対する批判から一部雑誌が皇后の人格や行動に対するバッシングを展開し,そのストレスから失声症になった(その後回復)。天皇の退位に伴い 2019年5月1日,上皇后となった。児童書や詩集の英語訳などの活動も行なう。

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