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青木夙夜 あおき しゅくや

美術人名辞典の解説

青木夙夜

江戸後期の画家。京都生。名は俊(浚)明、号を士風・春塘・八岳、通称は荘右衛門。韓国余章王の後裔と自称し、余夙夜と称した。池大雅に学び、大雅歿後は京都の大雅堂に住して二世大雅堂と称する。細密な描写の画風が多く、山水人物画を能くした。天明頃(1781~1789)歿、享年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

青木夙夜 あおき-しゅくや

?-1802 江戸時代中期-後期の画家。
京都の人。韓(かん)天寿従兄弟(いとこ)といわれ,余章王の後裔と名のった。池大雅にまなび,大雅の没後,大雅堂2代と称した。作風は師とことなり,細密な描写であった。享和2年10月23日死去。名は浚(俊)明。通称は俊蔵,庄(荘)右衛門。号は春塘,八岳など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

青木夙夜

没年:享和2.10.23(1802.11.18)
生年:生年不詳
江戸中期の南画家。名は浚(俊)明。通称庄右衛門。字は大初,のち夙夜。春塘,八岳と号した。馬韓の余璋王の末裔といい,余姓を名乗った。韓天寿の従兄弟。京都の人。天寿を介して早くから池大雅に師事。師を敬慕すること篤く,天明4(1784)年玉瀾(大雅の妻)没後,大雅の遺作・遺品の一部を処分して,京都東山双林寺境内に大雅堂を建立。田能村竹田著『山中人饒舌』によれば,以後十数年間,大雅堂2世と称して堂を守り,画作にふけった。大雅作品の鑑定に詳しく,また忠実な模写にも努めたが,自らの画風はまじめで穏和である。寛政12(1800)年,大雅25回忌を主催。晩年は伊勢(三重県)へ移住し,松坂で没した。

(武田光一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

青木夙夜
あおきしゅくや

[生]?
[没]享和2(1802).10.23. 伊勢
江戸時代中・後期の南画家。名は俊 (浚) 明,通称俊蔵のち庄右衛門。字は大初のち夙夜。号は春塘,八岳。書家の韓天寿のいとこで,韓国の余璋王の後裔を自称,余夙夜ともいう。宝暦頃から池大雅に師事し,大雅の妻玉瀾の没後は大雅堂に居住。主要作品『楼閣山水図』 (1802) 。

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