朝日日本歴史人物事典 「青木夙夜」の解説
青木夙夜
生年:生年不詳
江戸中期の南画家。名は浚(俊)明。通称庄右衛門。字は大初,のち夙夜。春塘,八岳と号した。馬韓の余璋王の末裔といい,余姓を名乗った。韓天寿の従兄弟。京都の人。天寿を介して早くから池大雅に師事。師を敬慕すること篤く,天明4(1784)年玉瀾(大雅の妻)没後,大雅の遺作・遺品の一部を処分して,京都東山双林寺境内に大雅堂を建立。田能村竹田著『山中人饒舌』によれば,以後十数年間,大雅堂2世と称して堂を守り,画作にふけった。大雅作品の鑑定に詳しく,また忠実な模写にも努めたが,自らの画風はまじめで穏和である。寛政12(1800)年,大雅25回忌を主催。晩年は伊勢(三重県)へ移住し,松坂で没した。
(武田光一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報