中国、中華民国前期の軍人、政治家。湖北省黄陂(こうひ)の生まれ。字(あざな)は宋卿。北洋水師学堂卒。ドイツ人の教官について、湖北新軍を訓練し、新軍においてしばしば湖北省の革命党員の活動を弾圧した。1911年の辛亥(しんがい)革命における武昌蜂起(ぶしょうほうき)後、軍政府の鄂(がく)(湖北省の別称)大都督(だいととく)に任じられ、漢口の革命戦争を鎮圧。南京(ナンキン)臨時政府の成立にあたって副大総統に選ばれた。袁世凱(えんせいがい)の政権奪取に際しては袁に協力した。1914年袁が国会を解散、約法(やくほう)を改竄(かいざん)し、参政院を設けた際、院長に任命された。袁の死(1916)後、副大総統から大総統に昇格。その後国務院総理の段祺瑞(だんきずい)と争い、その地位を追われた。1923年、直隷派系の軍閥の支援を受け大総統に返り咲いたが、同年直隷派系の軍閥に追われてその地位を失った。のち天津(てんしん)で病没した。
[山下龍三]
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中国の軍人政治家。湖北省黄陂県の人。字は宋卿。北洋水師学堂に学び新軍にあって出世したが,非北洋系である。武昌蜂起(辛亥革命)で湖北軍政府都督に擁立され,中華民国では孫文,袁世凱のもとで副総統となった。けだし孫文に対しては旧勢力を,袁世凱に対しては革命勢力を代表したのであって,時代が黎元洪に両派の代表の役割を演じさせたのである。袁世凱の死後,2度大総統位(1916年6月~17年7月,1922年6月~23年6月)についたが,それは北洋軍閥政権が一歩譲歩を強いられた時のことである。のち天津で病没した。
執筆者:狭間 直樹
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1864~1928
清末民国初期の軍人。湖北省黄陂(こうひ)県の人。張之洞(ちょうしどう)のもとで立身し,辛亥(しんがい)革命のとき推されて武昌で独立,湖北都督となった。南京臨時政府の副総統となり,ついで進歩党の理事長となって袁世凱(えんせいがい)をたすけ,国民党と対立した。1916年袁の死後,大総統に就任,段祺瑞(だんきずい)と対立し,17年の張勲(ちょうくん)の復辟(ふくへき)で辞任した。22年直隷派に推されて再び大総統となったが翌年追われ,以後政界を離れた。
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… 南方の革命側は孫文の帰国をまって12年1月1日,孫文を初代臨時大総統とする中華民国臨時政府(南京臨時政府)を組織した。副大総統には〈首義〉の区,湖北の都督黎元洪(れいげんこう)が選ばれた。北京,南京とも手づまり状況のもとで孫・袁間に電報談判が行われ,清国皇帝の退位と袁世凱の共和制賛成を条件に,孫文は大総統位を袁世凱に譲ることにした。…
※「黎元洪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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