
(いみな)は棣、太
の第四子なり。洪武三年、燕王に封ぜらる。
元年七
、兵を擧げて反し、
を以て名と爲し、四年~京師に入り、自立して
と爲る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…建文帝は落城に際し,兵火のなかに没したが,悲運の皇帝への同情から,帝の生死については数々の風説が伝わっている。なお,靖難というのは,挙兵にあたり,燕王が〈君側の奸を除き,皇室の難を靖んずる〉という名目を掲げたことにもとづく。【寺田 隆信】。…
※「靖難」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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