中国の諸制度を集成した書物。宋末・元初の馬端臨の著。348巻。元の延祐4年(1317)に成る。唐の杜佑が著した《通典(つてん)》の体裁にならい,太古から南宋までの歴代王朝の制度と沿革を24部門に分けて記述する。文献とは《論語》に由来する言葉で,文は典籍,献は賢人の意(朱熹(しゆき)(子)の注)。田賦から四裔に至る各部門ごとに,まず史実を叙述し(文),次に政治家や学者の議論を載せ(献),最後に著者自身の見解を加える。唐代中期までは《通典》の記事を増補し,それ以後については諸書を参閲し,とくに五代と宋に関しては他書に見られぬ記事をも含む。分類上は政書に属すが,事典的性格も備え,歴代王朝の制度を簡潔に通覧できる。若干の誤脱はあるものの,全体としてきわめて優れたできばえである。《通典》,南宋の鄭樵(ていしよう)の《通志(つうし)》と併せて三通とされ,明の王圻(おうき)の《続文献通考》をはじめ清朝の《欽定続文献通考》《皇朝文献通考》などの継承書を生んだ。
執筆者:浅見 直一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「ぶんけんつうこう」とも読む。中国、宋(そう)末元(げん)初の馬端臨(ばたんりん)の著で348巻。元初年に成ったが、1322年の政府命令で刊行された。唐の杜佑(とゆう)の『通典(つてん)』、宋の鄭樵(ていしょう)の『通志(つうし)』とあわせて三通と称せられる。『通典』は礼に詳しく、『通志』は紀伝が大部分を占めるに対し、この書はもっぱら経済、制度について述べ、かつ前二者が唐代までの記述であるに対し、本書は南宋の寧宗(ねいそう)(在位1194~1224)代まで記述してあり、唐・宋の変革期を含む点がもっとも重要である。この続編として、清(しん)の乾隆(けんりゅう)帝欽定(きんてい)の『続文献通考』『皇朝続文献通考』の二書、および明(みん)の王圻(おうき)の『続文献通考』、清の劉錦藻(りゅうきんそう)の『皇朝続文献通考』がある。なお、参考書に京都大学東洋史研究会発行の『文献通考五種総目録』がある。
[宮崎市定]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
元初,馬端臨(ばたんりん)の著した制度史。348巻。上古より南宋の寧宗(ねいそう)に至る政治制度を叙し,特に宋制に詳しい。『通典』(つてん)を継承し,「三通」(『通典』『通志』『文献通考』)のなかで最も詳しく,後世類似の書を生んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…中国,書名に通の字を持つ9種類の制度中心の百科全書集。唐の杜佑(とゆう)の《通典(つてん)》,宋の鄭樵の《通志》,元の馬端臨の《文献通考》は,性格は違うが歴代の制度沿革を知るに有用な書で三通と呼ばれてきた。清の乾隆帝は1747年(乾隆12),67年にそれぞれ〈皇朝〉と〈欽定続〉の名を冠した《文献通考》《通典》《通志》6種を勅撰,これらが一括して九通といわれるが,実録,会典などにくらべ,二次史料的でかつ膨大なため,あまり使われない。…
…在野の処士としてなしうるところは,わずかに著作によって制度を遺し,私塾教育によって学統を伝えるだけに限られよう。胡三省の《資治通鑑(しじつがん)》の注,馬端臨の《文献通考》は前者の偉大な業績であり,黄溍,戴表元の儒学は後者の労苦の末の成果だった。もっとも国家の教化いかんがその盛衰を左右するとみなす伝統的文化観の下にあっては,在野の学問はしょせんその枝葉にすぎない。…
※「文献通考」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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