須古村(読み)すくむら

日本歴史地名大系 「須古村」の解説

須古村
すくむら

[現在地名]宇検村須古(すこ)

湯湾(ゆわん)村の南西に位置し、集落は焼内(やきうち)湾に臨む。湯湾村とは渡船で往来していた。屋喜内(やきうち)間切(焼内間切)宇検(うきえん)方のうち。正保琉球国絵図に「焼内間切之内すこ村」とみえ、河内(かわうち)川沿いに東に進む道が記載され、「すこ村大道」より住用(すむゆう)間切(現住用村)大道まで三里二九町とある。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳にも焼内間切五ヵ村のうちとして「すこ村」と記される。「大島私考」には宇検方一四ヵ村のうちとして「須古村」とみえ、高六五石余、うち享保内検後の開地は五斗余。


須古村
すこそん

[現在地名]白石町大字堤(つつみ)

白石平野の西、杵島山の東麓に近い水田地帯の街村。慶長絵図に「須古城」「須古郷」とあり、正保絵図に村名がみえる。

鎌倉時代は稲佐(いなさ)城主日向氏(のちの白石氏)の所領であったが、室町時代には平井氏の領地となり、同時代の末には竜造寺隆信の所領、江戸時代は佐賀藩の大配分としての須古領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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