20世紀日本人名事典 「須崎芳三郎」の解説
須崎 芳三郎
スザキ ヨシサブロウ
明治〜昭和期のジャーナリスト
- 生年
- 文久3年11月9日(1863年)
- 没年
- 昭和24(1949)年4月28日
- 出生地
- 武蔵国多摩郡砂川村(東京都立川市)
- 別名
- 号=黙堂
- 学歴〔年〕
- 帝国大学法科大学政治学科〔明治22年〕卒
- 経歴
- 明治22年渡辺洪基主宰の国家主義雑誌「利圀新誌」編集記者となり、23年「近江新報」主筆、27〜31年岡山県立中学校長を経て、同年8月大阪朝日新聞社に入るが、32年退社し欧米を旅行。34年「日本」新聞に入社、41年「報知新聞」に転じ論説を担当。大正5年12月発売禁止処分の社説「宮中闖入事件」は有名であり、常に時流に迎合することなく執筆活動を行い、8年編集顧問となり同社の重鎮として活躍した。昭和2〜11年取締役。著書に「露西亜侵略史」「教育革命論」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報