日本歴史地名大系 「須木・須木郷」の解説
須木・須木郷
すき・すきごう
ほぼ現須木村域にあたる。中世には須木城、および同城を中心とする地域を須木とよんだ。応永年間(一三九四―一四二八)の初め頃の九月一四日付の島津元久書状(町田氏正統系譜)によれば、須木、
永禄(一五五八―七〇)頃にも真幸口を固める要地の一で、また須木の米良尾張守は、天文(一五三二―五五)頃には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ほぼ現須木村域にあたる。中世には須木城、および同城を中心とする地域を須木とよんだ。応永年間(一三九四―一四二八)の初め頃の九月一四日付の島津元久書状(町田氏正統系譜)によれば、須木、
永禄(一五五八―七〇)頃にも真幸口を固める要地の一で、また須木の米良尾張守は、天文(一五三二―五五)頃には
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