日本歴史地名大系 「風呂町」の解説 風呂町ふろつじちよう 兵庫県:尼崎市尼崎城下風呂町[現在地名]尼崎市東本町(ひがしほんまち)二―三丁目別所(べつしよ)町・市庭(いちにわ)町の東に位置し、北は大物(だいもつ)川を挟んで大物町、南は水路を隔てて松島(まつしま)新田。中央を中国街道が東西に通った。中世には尼崎四町のうちの一町で、湯屋があったところからついたと考えられている(尼崎市史)。町名は城下町建設時の引高、および寛永一三年(一六三六)の新屋地子改による増高を記した尼崎領尼崎町本地子(金蓮寺旧蔵文書)にみえるのが早い。戸田氏入部当時は本地子五五石余・取米二七石余であったが、城下町建設の大改造で東西の新道・横小路新道二本・北向き新道、長遠寺(ぢようおんじ)町に東西の新道・長遠寺横小路新道二本・川端東西新道・山風呂辻東西新道、山風呂辻北の川端に新道を新設、着船場通り突抜け工事のために三二・六パーセント、九石余の引高となった(尼崎市史)。 風呂町ふろまち 三重県:桑名市桑名城下風呂町[現在地名]桑名市風呂町宝殿(ほうでん)町の東にあり、南北の長さ一〇〇間の町屋敷地。「久波奈名所図会」に「西側に風呂屋あるが故に町の名となれり」とある。停泊する舟の舟子が入浴に来て繁盛したが、のちに風呂屋はなくなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by