風間村
かざまむら
[現在地名]山形市風間・近田
青野村の北に位置し、大岡山北西麓丘陵と高瀬川南岸平地に立地。菰石川が北部を西流し、高瀬川に合流する。集落は城下から二口峠へ通じる二口街道に沿う。風間古墳がある。東部の砥石山(二二〇メートル)山上に風間館(楯)跡がある。中世の連郭式山城で、山上に馬乗場・的場・籾倉、山麓に内城などの地名が残る。山形城と天童城のほぼ中間に位置し、「奥羽永慶軍記」によれば、最上義光の天童城攻撃の際に轟崎左衛門尉が義光に内通して立籠ったとある。
風間村
かざまむら
[現在地名]長野市風間
善光寺町東南にある。北は南高田村・南長池村と用水・耕地で境し、南は大豆島村と耕地・用水で境し、西は千田村と境する。
慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「四百弐石弐斗四升七合 風間村」とあるのを村名の初見とする。旧裾花川の跡の古川が村の中央を西から東に流れるほか、これに平行して東流する用水が南と北にある。中河原・宮河原・下河原・大河原など河原地字が多い(長野県町村誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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