鞍作止利(読み)クラツクリノトリ

デジタル大辞泉 「鞍作止利」の意味・読み・例文・類語

くらつくり‐の‐とり【鞍作止利/鞍作鳥】

飛鳥時代仏師司馬達等しばたつとの孫といわれる。飛鳥寺の丈六仏(飛鳥大仏)や法隆寺金堂の釈迦しゃか三尊像の作者。日本最初の本格的な仏師で、中国の北魏ほくぎ様式の流れをくみながら、いっそう洗練された作風は、止利様式とよばれる。止利仏師生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「鞍作止利」の意味・読み・例文・類語

くらつくり‐の‐とり【鞍作止利】

  1. 飛鳥時代の仏師。日本最初の仏像製作者。中国南梁からの渡来人司馬達等(しばたっと)の孫。父は仏工多須奈(たすな)。推古天皇一四年(六〇六)元興寺金堂(今の安居院)の銅と繍(しゅう)の丈六仏像を造り、さらに法隆寺金堂釈迦三尊像や薬師像を造立。作品は中国南北朝の北魏様式や銅造鍍金(ときん)の技術を採用した止利様式を示し、飛鳥彫刻の代表とされる。止利(鳥)。止利仏師。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「鞍作止利」の意味・わかりやすい解説

鞍作止利 (くらつくりのとり)

飛鳥時代の仏師。生没年不詳。止利(鳥)仏師とも呼ばれるが正しくは司馬鞍作首止利(しばのくらつくりのおびととり)。南梁からの帰化人司馬達等の孫というが,4世紀ごろに帰化した司馬一族の〈鞍作村主〉の子孫ではないかと考えられ,また朝鮮(百済)からの帰化人とする説もある。鞍作(鞍作部)の名が示すように馬具をつくる技術者集団の首長であったが,6世紀末ごろに大陸から新形式の鞍の技術が輸入されたとき,配下の金工,木工染織の技術者とともに,新しい技術を生かして仏像製作に転向したとも考えられる。祖父以来,代々熱心な仏教信者であり,父多須奈も仏工として用明天皇のために坂田寺を建てたと伝えられ,一族と思われる人物たちにも工芸関係の技術者が知られている。当時の権力者蘇我氏とは密接な関係が推測され,606年(推古14)蘇我馬子が日本最初の本格的寺院である飛鳥元興寺を建立する際,止利は銅と刺繡(ししゆう)の二つの丈六仏像をつくっている。その銅の像は飛鳥大仏と呼ばれ,元興寺(現,安居院)本堂現存する釈迦座像に当たるとされる。しかし,止利作の像は同寺の東西金堂に置かれて今は失われ,現存の像は中金堂のもので別人の作とする説もある。623年には聖徳太子と母后,妃の菩提のために法隆寺金堂の釈迦三尊像(銅造鍍金)を造ったことが,同像の光背裏の刻銘によって知られる。飛鳥大仏は後世の修補が多いのに対し,これは止利の確実な作品として貴重である。その作風は〈止利様式〉といわれ,中国の竜門石窟の像に見られる北魏時代後半の彫刻様式に近く,それを日本的に整斉させたものである。単純な形の大きく張った目,アルカイク・スマイルといわれる不可思議な微笑をたたえる唇,板を重ねたようにかたく直線的な衣文など,象徴的で,力強く,威厳に満ちている。また止利の作とはいえないが,止利様を示す像に法隆寺の戊子の年(628・推古36)銘のある釈迦三尊像,金銅の救世観音像,四十八体仏(現在は東京国立博物館収蔵)中の如来座像,同立像,菩薩半跏像などがあり,疑問はあるが7世紀半ばごろと思われる法隆寺伝法堂東の間の薬師如来像や,今は失われた大阪四天王寺の本尊像も止利系の作家によると思われる。このように止利工房の飛鳥彫刻に占める位置はたいへん大きい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鞍作止利」の意味・わかりやすい解説

鞍作止利
くらつくりのとり

飛鳥時代の代表的仏師。止利仏師とも呼ばれ,鞍作鳥とも書く。『日本書紀』によると渡来人司馬達等の孫,坂田寺の丈六像を制作したと伝えられる鞍部多須奈の子。法隆寺金堂の金銅『釈迦三尊像』(623)の作者として,光背の銘文に名をとどめる(→釈迦如来像)。聖徳太子の命を受け,多くの仏像制作に従事。推古14(606)年,元興寺金堂の丈六像をつくり,功として大仁位に叙せられ水田 20町歩を賜ったといわれる。中国,北魏の仏像の形式や様式を基礎とし,より洗練された作風をもち,板耳,杏仁形の目などの表情,指の長い大きな手,細く長い首,下裳の着方,裳懸座(もかけざ。→台座)などに特色がある。このような様式の仏像を止利様と称する。(→飛鳥文化

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百科事典マイペディア 「鞍作止利」の意味・わかりやすい解説

鞍作止利【くらつくりのとり】

飛鳥時代の仏師。生没年不明。止利仏師(とりぶっし)とも。祖父は司馬達等(しばたっと),父は多須奈(たすな)。仏教を信仰した渡来人の家系に生まれ,7世紀初め飛鳥(あすか)寺の本尊をつくり,623年には法隆寺金堂の金銅釈迦三尊(しゃかさんぞん)を完成。後者は彼の代表的遺作で,一光三尊の舟形光背(こうはい)を負い,裳懸(もかけ)座上にすわる。この像容は当時朝鮮半島を経由して伝えられた中国北魏(ほくぎ)末〜東・西魏ころの彫刻様式に基づいている。これと類似の飛鳥時代の作品が幾つかあり,いずれも鞍作止利の一派の作と思われ,止利の様式が日本の初期の仏像を支配していたことを示す。
→関連項目飛鳥大仏

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鞍作止利」の意味・わかりやすい解説

鞍作止利
くらつくりのとり

止利仏師

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世界大百科事典(旧版)内の鞍作止利の言及

【飛鳥美術】より

…《日本書紀》によれば610年高句麗王は,彩色・紙墨の技術者である僧曇徴を貢上するが,これは日本における画材の需要増大を反映しているとともに,その技術が高句麗からもたらされた点が注目される。また605年鞍作止利に銅・繡の丈六仏像各1軀を造らせたところ,高句麗王がこれを聞いて黄金300両を貢しており(紀),ここにも高句麗との関係がうかがえる。 鞍作止利は新漢人(いまきのあやひと)系の帰化人とみなされているが,太子の崩後に造立した法隆寺金堂の釈迦三尊像(623年銘)の作者である。…

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