飛鳥時代の仏師。生没年不詳。止利(鳥)仏師とも呼ばれるが正しくは司馬鞍作首止利(しばのくらつくりのおびととり)。南梁からの帰化人司馬達等の孫というが,4世紀ごろに帰化した司馬一族の〈鞍作村主〉の子孫ではないかと考えられ,また朝鮮(百済)からの帰化人とする説もある。鞍作(鞍作部)の名が示すように馬具をつくる技術者集団の首長であったが,6世紀末ごろに大陸から新形式の鞍の技術が輸入されたとき,配下の金工,木工,染織の技術者とともに,新しい技術を生かして仏像製作に転向したとも考えられる。祖父以来,代々熱心な仏教信者であり,父多須奈も仏工として用明天皇のために坂田寺を建てたと伝えられ,一族と思われる人物たちにも工芸関係の技術者が知られている。当時の権力者蘇我氏とは密接な関係が推測され,606年(推古14)蘇我馬子が日本最初の本格的寺院である飛鳥元興寺を建立する際,止利は銅と刺繡(ししゆう)の二つの丈六仏像をつくっている。その銅の像は飛鳥大仏と呼ばれ,元興寺(現,安居院)本堂に現存する釈迦座像に当たるとされる。しかし,止利作の像は同寺の東西金堂に置かれて今は失われ,現存の像は中金堂のもので別人の作とする説もある。623年には聖徳太子と母后,妃の菩提のために法隆寺金堂の釈迦三尊像(銅造鍍金)を造ったことが,同像の光背裏の刻銘によって知られる。飛鳥大仏は後世の修補が多いのに対し,これは止利の確実な作品として貴重である。その作風は〈止利様式〉といわれ,中国の竜門石窟の像に見られる北魏時代後半の彫刻様式に近く,それを日本的に整斉させたものである。単純な形の大きく張った目,アルカイク・スマイルといわれる不可思議な微笑をたたえる唇,板を重ねたようにかたく直線的な衣文など,象徴的で,力強く,威厳に満ちている。また止利の作とはいえないが,止利様を示す像に法隆寺の戊子の年(628・推古36)銘のある釈迦三尊像,金銅の救世観音像,四十八体仏(現在は東京国立博物館収蔵)中の如来座像,同立像,菩薩半跏像などがあり,疑問はあるが7世紀半ばごろと思われる法隆寺伝法堂東の間の薬師如来像や,今は失われた大阪四天王寺の本尊像も止利系の作家によると思われる。このように止利工房の飛鳥彫刻に占める位置はたいへん大きい。
執筆者:佐藤 昭夫
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…《日本書紀》によれば610年高句麗王は,彩色・紙墨の技術者である僧曇徴を貢上するが,これは日本における画材の需要増大を反映しているとともに,その技術が高句麗からもたらされた点が注目される。また605年鞍作止利に銅・繡の丈六仏像各1軀を造らせたところ,高句麗王がこれを聞いて黄金300両を貢しており(紀),ここにも高句麗との関係がうかがえる。 鞍作止利は新漢人(いまきのあやひと)系の帰化人とみなされているが,太子の崩後に造立した法隆寺金堂の釈迦三尊像(623年銘)の作者である。…
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