飯豊山穴堰
いいでさんあなぜき
長堀堰・八幡堰などの用水源となる白川の夏季渇水期の増水を目的として開削された用水路。県指定史跡。同じ飯豊山系を水源としながら、現小国町域を流れる荒川水系の玉川は融雪水のために最上川水系に属する白川に比して夏季の水量が豊富であった。長堀堰の水量が増せば、自村まで堰を延長できると考えていた奥田村(現東置賜郡川西町)の肝煎横山平左衛門は玉川から白川へ通水できないものかと、黒井堰の開削で知られる米沢藩勘定頭黒井忠寄に進言した。藩命により寛政一〇年(一七九八)忠寄は自ら飯豊山中を測量し、玉川と白川を結ぶ坑道の開削地点を両川の最も接近する地蔵岳(一五三八・九メートル)と種蒔山(一七九一メートル)の中間、標高約一五〇〇メートルの地と決定した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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