飯野牧(読み)いいののまき

日本歴史地名大系 「飯野牧」の解説

飯野牧
いいののまき

現身延町大野おおの付近にあった古代・中世の牧。富士川西岸で、波木井はきい川との合流点近くに位置したと推定される。飯井野御牧とも書く。飯野の「飯」は「飯富」を「おぶ」と読むように「おふ」と読むことができるとして、飯野を「おおの」と読んで大野にあてる(甲斐国志)。「玉葉」安元二年(一一七六)一〇月一一日条に「施薬院領甲斐国飯野牧」とみえる。同日条によれば、当牧下司政綱年貢を納めず、未進が累積していたため太政官が問いただすと、政綱は住人貞重の対捍のためと弁明した。そこで太政官は左少弁藤原兼光奉行として貞重を出頭させるよう政綱に命じ、七月七日政綱はこれを了承して請文を出したが、翌八日貞重が病死して召喚が不可能となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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