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兼光 カネミツ

デジタル大辞泉の解説

かねみつ【兼光】

鎌倉末期の刀工備前長船(おさふね)の人。「左衛門尉」と銘した。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

兼光

生年:生没年不詳
鎌倉末期・南北朝時代の備前(岡山県)の刀工。景光の子で長船派の正系の4代目。年紀作は元亨2(1322)年から延文6(1361)年と40年にわたり,また作風も観応1(1350)年ごろから変化がみられるため1代説,2代説がある。作品は太刀,短刀ともに比較的多く残り,鎌倉期の太刀は概して細身で,南北朝時代には幅広く寸も長くなり,短刀も同様となる。また刃文は前期作は互の目が主体であったが,後期作は湾れの刃文が多くなっている。一門に倫光,政光,基光などがいて,南北朝時代隆盛をみた。<参考文献>加島進「中世における長船刀工について」(『東京国立博物館紀要』6号)

(原田一敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

かねみつ【兼光】

南北朝期、備前の刀工。景光の嫡男。孫左衛門尉と称する。当時の長船鍛冶の頭領。古来大業物わざものとして名高い。兼光は二代にわたるとの説もある。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

兼光
かねみつ

生没年不詳。南北朝時代の備前(びぜん)(岡山県)の刀工。光忠に始まり、長光、景光と続く長船(おさふね)派の正系で、14世紀の後半に活躍している。元弘(げんこう)(1331~34)からの年紀作があり、姿は尋常で互(ぐ)の目乱れ刃を焼き、延文(えんぶん)(1356~61)ごろには3尺を超える大太刀(おおだち)があり、短刀も寸延びになり、刃文はのたれ調の沸(にえ)づいたものとなる。一説に足利尊氏(あしかがたかうじ)に重用され、長船には尊氏から与えられたという広い屋敷が残っている。兼光の制作期間はほぼ30年で、延文ごろに大きく作風が変化しているため、初・2代説があるが、1代とみるべきであろう。[小笠原信夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の兼光の言及

【長船物】より

…光忠には年紀作はないが,その子長光には文永11年(1274)紀の作があり,活躍年代がほぼ知られる。長光の子あるいは弟子に景光,真長(さねなが),近景,景光の子に兼光がおり,いずれも名作をのこしている。南北朝時代には兼光の系統に倫光(ともみつ),政光,基光などがおり,この正系以外に別系と思われるものも現れ,長義系の長重・長義・兼長,元重系の元重・重真,山城国大宮から備前に移住したという大宮系の盛景・盛重などが活躍,隆盛をみた。…

【関物】より

…美濃国は鎌倉時代に為国や大野郡の寿命らがいたが,南北朝時代に至り,正宗門人と伝える金重が越前から関に移住し,室町時代に繁栄する関鍛冶の基を築いたという。関市春日神社にある関鍛冶の系譜を記した《関鍛冶七流之事》には金重の子金行の娘に大和手搔包永(てがいかねなが)を養子に迎え,その子兼光の子孫が善定兼吉,三阿弥兼高,奈良兼常,得印兼久,徳永兼宣,良賢兼舟,室屋兼在と7派に分かれてそれぞれ一流派をなしたとしている。室町中期以降はこの関を中心に蜂屋に兼貞,赤坂に兼元,清水に兼定らの名工がおり,これらを包含して末関物と称している。…

※「兼光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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