生没年不詳。南北朝時代の備前(びぜん)(岡山県)の刀工。光忠に始まり、長光、景光と続く長船(おさふね)派の正系で、14世紀の後半に活躍している。元弘(げんこう)(1331~34)からの年紀作があり、姿は尋常で互(ぐ)の目乱れ刃を焼き、延文(えんぶん)(1356~61)ごろには3尺を超える大太刀(おおだち)があり、短刀も寸延びになり、刃文はのたれ調の沸(にえ)づいたものとなる。一説に足利尊氏(あしかがたかうじ)に重用され、長船には尊氏から与えられたという広い屋敷が残っている。兼光の制作期間はほぼ30年で、延文ごろに大きく作風が変化しているため、初・2代説があるが、1代とみるべきであろう。
[小笠原信夫]
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…光忠には年紀作はないが,その子長光には文永11年(1274)紀の作があり,活躍年代がほぼ知られる。長光の子あるいは弟子に景光,真長(さねなが),近景,景光の子に兼光がおり,いずれも名作をのこしている。南北朝時代には兼光の系統に倫光(ともみつ),政光,基光などがおり,この正系以外に別系と思われるものも現れ,長義系の長重・長義・兼長,元重系の元重・重真,山城国大宮から備前に移住したという大宮系の盛景・盛重などが活躍,隆盛をみた。…
…美濃国は鎌倉時代に為国や大野郡の寿命らがいたが,南北朝時代に至り,正宗門人と伝える金重が越前から関に移住し,室町時代に繁栄する関鍛冶の基を築いたという。関市春日神社にある関鍛冶の系譜を記した《関鍛冶七流之事》には金重の子金行の娘に大和手搔包永(てがいかねなが)を養子に迎え,その子兼光の子孫が善定兼吉,三阿弥兼高,奈良兼常,得印兼久,徳永兼宣,良賢兼舟,室屋兼在と7派に分かれてそれぞれ一流派をなしたとしている。室町中期以降はこの関を中心に蜂屋に兼貞,赤坂に兼元,清水に兼定らの名工がおり,これらを包含して末関物と称している。…
※「兼光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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