日本歴史地名大系 「飯野・飯野郷」の解説
飯野・飯野郷
いいの・いいのごう
現えびの市の東部、
康永四年(一三四五)一一月二二日の開田出羽守領吉田村年貢濫妨事書(相良家文書)に「吉田飯野名々主花北左衛門太郎入道」がみえ、
その後当地には飯野城が築かれ、文明六年三州処々領主記(都城島津家文書)には「北原持城」の筆頭として飯野がみえる。以後中世から近世初頭の史資料にみえる「飯野」の多くは飯野城あるいはその城主をさし、同城は北原氏さらに永禄七年(一五六四)以降は島津忠平(義弘)の拠る所となった。飯野地頭には同年一一月より川上忠智、天正(一五七三―九二)初年には有川貞真(島津義弘家老)、文禄(一五九二―九六)末頃には新納忠元、慶長(一五九六―一六一五)頃には伊集院久春入道元巣が任じられたとされる(諸郷地頭系図)。元亀三年(一五七二)五月四日には伊東氏と島津氏の軍勢が飯野川内川河畔の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報