日本歴史地名大系 「飯高神戸」の解説
飯高神戸
いいたかかんべ
古代・中世に飯高郡に置かれた伊勢神宮の神戸。「太神宮諸雑事記」垂仁天皇二五年条に「倭姫内親王(中略)次伊勢国安濃郡藤方宮御坐三年之間、国造奉寄神戸六箇処也、所謂安濃・一志・鈴鹿・河曲・桑名・飯高神戸等也」とあるがこれは伝説に属し、確実なものとしては延暦二三年(八〇四)の「皇太神宮儀式帳」にみえるのが早い。次いで弘仁三年(八一二)五月四日の勅(日本後紀)に「伊勢国多気・度会・飯高・飯野等七郡神戸百姓等」とある。また「延喜式」に「飯高郡卅六戸」とある。
「太神宮諸雑事記」天喜六年(一〇五八)七月二七日条に引く同年月日付の宣旨には「応早撰補替人、来九月御祭供進去二年十二月、同三年六月、両度闕怠飯高神戸御神酒事云云」とある。事の起りは同条によれば、神戸預河内惟清が前大宮司の神戸検田を理由に御神酒を闕怠したことにあり、結局惟清には大祓が課され、神戸預も検非違使河内重清に変更された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報