日本歴史地名大系 「饒波村」の解説 饒波村ぬふあむら 沖縄県:沖縄島南部豊見城市饒波村[現在地名]豊見城市饒波(のは)平良(てーら)村の北にある。ヌファ村またはヌーファ村とよぶ。西隣の高安(たけーし)村と併称してヌファ・タケーシという。絵図郷村帳には豊見城(とうみぐすく)間切「によは村」とあり、琉球国高究帳および「琉球国由来記」には同饒波村とみえる。琉球国高究帳によると高頭一二九石余、うち田七八石余・畠五〇石余。間切集成図では首里から真玉(まだん)橋を渡った道筋が当村と高安村の間の高台を抜け、高安川原(現饒波川)に架かる尚敬(そーちー)橋(または早瑞橋)を渡り、兼城(かにぐすく)間切番所(現糸満市)に至る。 饒波村ぬーはむら 沖縄県:沖縄島北部大宜味村饒波村[現在地名]大宜味村饒波(ぬうは)三方を山地に囲まれた南側山地の北裾に立地し、西は大兼久(はにく)村。ヌーファともいう。集落の北側にわずかばかりの平坦地があり、その中を饒波(ぬーは)川が流れ東シナ海に注ぐ。同川の河口付近は漏斗状になり、村の入口は北風が強い。間切所属の変遷は塩屋(さー)村と同じ。絵図郷村帳に国頭(くんじやん)間切「によは村」とみえるが、琉球国高究帳では村名はみえない。「琉球国由来記」に饒波村と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by