20世紀日本人名事典 「首藤定」の解説
首藤 定
シュトウ サダム
- 生年
- 明治23(1890)年6月18日
- 没年
- 昭和34(1959)年2月14日
- 出生地
- 大分県臼杵市
- 学歴〔年〕
- 東洋協会旅順語学校(中国)〔大正3年〕卒
- 経歴
- 明治44年友人と中国に渡り、大正3年東洋協会旅順語学校を卒業。関東都督府外事課勤務などを経て、染料、自動車会社などを経営。昭和13年大連商工会議所会頭に就任するなど実業家として大成。傍ら、30歳代から約20年かけ、中国や日本の骨とう品をはじめ日本画、洋画など様々な美術品を収集。首藤コレクションと称されたが、終戦直後、在留邦人の食糧難を救済するため、ソ連軍を相手にコレクションと雑穀を交換。22年大分県に引き揚げ後も、引き揚げ者の就職や権利擁護に私財を投じた。また、横綱・双葉山の後援会長も務めた。平成11年ロシア国立東洋美術館に保管されていた浮世絵と日本画約120点が約50年ぶりに里帰りすることになり、横浜のそごう美術館などで「ロシア国立東洋美術館所蔵 首藤コレクション 幻の日本画名品展」として初公開される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報