改訂新版 世界大百科事典 「馮雪峰」の意味・わかりやすい解説
馮雪峰 (ふうせっぽう)
Féng Xuě fēng
生没年:1903-76
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国の文芸評論家。浙江(せっこう)省義烏出身。浙江第一師範在学中に詩作を開始した。1927年中国共産党に入党、20年代末、マルクス主義芸術論の文献を精力的に翻訳し、これを通じて魯迅(ろじん)と知り合いその信頼を得た。30年代には左翼作家連盟に参加、33年江西ソビエトに移り、長征に参加、36年ふたたび上海(シャンハイ)に戻り、国防文学論争では魯迅とともに周揚らと対立した。抗日戦後期には国民党により収容所に入れられた。解放後しばらくは『文芸報』編集長、作家協会副主席を務め、魯迅研究をはじめ活発な評論活動を行ったが、57年「右派」とされて失脚、76年1月31日死去。死後の79年に名誉を回復した。著作には『魯迅論及其他』(1940)、『回憶魯迅』(1952)、『雪峰寓言(ぐうげん)三百篇(ぺん)』(1949)などがあり、『雪峰文集』全4巻(1981―85)が刊行されている。
[丸山 昇]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…唯物論思想を,古典《紅楼夢》研究にどう具体的に適用するか,学術権威を無名の青年が批判し,それを毛沢東が1954年10月16日手紙を書いて支持する形で繰り広げた運動。批判論文を採用するかどうかの手続問題から,馮雪峰(ふうせつぽう)らの《文芸報》編集部自己批判をも引きおこした。胡適の《紅楼夢考証》(新紅学)の系統を継ぐ兪平伯(ゆへいはく)は《紅楼夢研究》《紅楼夢簡論》などで,《紅楼夢》を色即是空を表す観念小説で,作者曹雪芹の嘆きの自伝とみなした。…
※「馮雪峰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...