高木利太(読み)タカギ トシタ

20世紀日本人名事典 「高木利太」の解説

高木 利太
タカギ トシタ

明治〜昭和期の新聞記者 大毎専務。



生年
明治4年1月19日(1871年)

没年
昭和8(1933)年1月23日

出身地
豊前国中津(大分県)

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治24年〕卒

経歴
豊前中津藩士・寅次郎の子に生まれる。明治24年大阪毎日新聞に入社。日清戦争には従軍記者となり戦況を報じた。28年農商務省特派員・志村源太郎、江口敬之助と共に南清に渡り、蘇州杭州より重慶に至り新開港場を視察報道する。29年藤田組に転じたが、30年再び復社し、33年大阪の実業家数名と共に渡欧、パリ博覧会を視察、帰途米国を巡遊した。39年電報新聞売却の話を聞き本山社長と共に奔走、これを買収して毎日電報に改名し自ら主幹となる。のち本社経済部長、副主幹、営業局長などを歴任。大正7年専務に就任する。15年退任したが、昭和3年再び常務となり、7年退職した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木利太」の解説

高木利太 たかぎ-とした

1871-1933 明治-昭和時代前期の新聞記者
明治4年1月19日生まれ。大阪毎日新聞社に入社,日清戦争に記者として従軍。明治39年「毎日電報」主幹,のち本社経済部長,副主幹,営業局長などを歴任,大正7年専務となった。昭和8年1月23日死去。63歳。豊前(ぶぜん)中津(大分県)出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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