高橋千代(読み)タカハシ チヨ

20世紀日本人名事典 「高橋千代」の解説

高橋 千代
タカハシ チヨ

大正・昭和期の婦人運動家:教育者,新聞記者 新日本婦人協会副会長。



生年
明治23(1890)年8月26日

没年
昭和44(1969)年3月3日

出生地
山口県熊毛郡三井村(現・光市)

旧姓(旧名)
山本 千代(ヤマモト チヨ)

学歴〔年〕
徳基女学校(現・厚狭高)卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和40年〕

経歴
在学中に17歳で高橋幾造(のち弁護士・教育家)と結婚。卒業後、中国蘭州大学に赴任する夫と共に中国へ渡り、明治41年に帰国して東京に住んだ。のち婦人運動に目覚め、大正9年平塚らいてうが主宰する新婦人協会の婦人参政権獲得運動に加わった。同協会解散後は12年に婦人参政同盟を設立し、理事として請願や署名活動などを展開。また、女性の法律知識向上を志し、女性も弁護士となれるように弁護士法改正を求めた。13年には明治大学内に無料法律講習会を開き、昭和3年東京神田の村田簿記学校内に女性弁護士養成を目的とした東京女子法学院を開設。これらの運動の結果、4年の明治大学女子部の開設、8年の弁護士法改正が実現した。この間、大正15年から「婦女新聞」記者としても活動。昭和8年には婦人参政同盟を離れて新日本婦人協会を結成し、機関誌「女性日本」の編集を担当した。戦後婦人有権者同盟や婦人税制研究会、東京婦人愛市協会などに参加して婦人の政治知識向上に努めた。40年紫綬褒章を受章著書に教育小説「教太郎」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋千代」の解説

高橋千代 たかはし-ちよ

1890-1969 大正-昭和時代の婦人運動家。
明治23年生まれ。17歳で教育者高橋幾造と結婚。大正9年平塚らいてうらと新婦人協会を結成。婦人弁護士養成のため昭和3年東京女子法学院をひらく。4年婦人選挙権獲得期成同盟をつくり婦人参政運動につくした。昭和44年3月3日死去。79歳。山口県出身。徳基高女卒。著作に「教太郎」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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