20世紀日本人名事典 「高橋順太郎」の解説
高橋 順太郎
タカハシ ジュンタロウ
明治・大正期の薬理学者
- 生年
- 安政3年3月28日(1856年)
- 没年
- 大正9(1920)年6月4日
- 出生地
- 加賀国金沢(石川県)
- 学歴〔年〕
- 東京大学医学部〔明治14年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔明治24年〕
- 経歴
- 金沢藩士・高橋作喜の長男として生まれる。幼少より藩校・明倫堂で文学を、経武館で武道を学ぶ。明治14年東京大学卒業後、同大助手として外科を修めながら内科当直医を務める。15年ドイツに留学し、ベルリン大学で薬物学・裁判医学をシュミデベルク教授に学び、17年シュトラースブルク大学に転ずる。18年ルイーゼ・ハインリヒと結婚し帰国、同年母校の大学講師、19年帝国大学医科大学教授となり、日本初の独立した学科目として薬物学講座を担当した。多数の論文を発表する一方、肝油、肺結核特効薬フワゴール、肺炎の特効薬レミジンの創成でも知られる。また医術開業試験委員、日本薬局方調査委員、理学文書目録編纂委員などを務めた。著書に「河豚の毒性に就て」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報