高田新田村(読み)たかだしんでんむら

日本歴史地名大系 「高田新田村」の解説

高田新田村
たかだしんでんむら

[現在地名]酒田市保岡やすおか

京屋新田きようやしんでん村の北にあり、村は南側の前高田まえたかだと北側の後高田うしろたかだに分れる。地内を灌漑用水路の井皿いざら溝が南流する。明暦二年(一六五六)の検毛帳(飽海郡誌)に村名はみえず、貞享年間(一六八四―八八)の村組付(飽海郡誌)によると高六一石余、家数一一。同四年には草刈地の鷹尾たかお山山札三枚を所有し、米六升を納入している(「鷹尾山新古留帳」相馬文書)。享和三年(一八〇三)の家数一四・人数八〇(「村数家数人高控帳」斎藤文書)


高田新田村
たかたしんでんむら

[現在地名]美野里町高田

ともえ川の左岸に位置し、東は寺崎てらさき新田。巴川流域に沿って田が開ける。元禄(一六八八―一七〇四)以後小岩戸こいわと村より分れたというが、慶安二年(一六四九)の宍戸領高田沼新田開発之事(糸賀家文書)があり、天保郷帳に「高田新田村」とある。正保二年(一六四五)天領となり、天明年間(一七八一―八九)旗本小菅氏の知行地となり寛政五年(一七九三)の竹原片倉助郷願書(小沼家文書)には「高五拾壱石高田新田」とみえ、また「小菅猪左衛門知行 高田村」とみえる。


高田新田村
たかだしんでんむら

[現在地名]上越市高田新田

荒町あらまち村の西にある。正保国絵図に高田新田とみえ高六六石余。天和三年郷帳では高六七石二斗余、うち漆高二升五合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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