高知尾庄(読み)たかちおのしよう

日本歴史地名大系 「高知尾庄」の解説

高知尾庄
たかちおのしよう

現在の西臼杵郡日之影ひのかげ町・高千穂町・町および東臼杵郡諸塚もろつか村の地域に比定される。建久図田帳に高智尾たかちお社八町がみえ、臼杵郡内に所在し、地頭は土持宣綱とあるが、高知尾庄とは記されていない。建長六年(一二五四)四月二六日の関東下知状案(田部文書)には「熊野山領日向国高知尾庄」とあり、雑掌進士高村は地頭高知尾政重と在家・若王子門田・年貢減納・壬生上村田地押領狼藉のことなどをめぐって相論している。この文書に安貞三年(一二二九)の安東明尊の目録がみえるので、当庄は北条氏被官安東氏が検注に関与しており、預所職は北条氏に継承されていたと考えられる。文永一二年(一二七五)一月一九日、領家側の湛芸法眼は地頭側の下知に任せて高知尾庄の十社大明神(現高千穂神社)神主宗直の在家を安堵している(「領家湛芸法眼下知状案」田部文書など)。正和三年(一三一四)六月一六日、領家側は先の湛芸の下文に任せて十社大明神神主宗重の柚木野ゆのきの屋敷を安堵している(「某袖判下文」高千穂神社文書)。柚木野は現高千穂町上野かみのの字名として現存する。湛芸は熊野別当の後胤で、湛芸―覚湛―湛祐―湛賀―香童丸と続き、浦上氏を称し現地支配を進めており(貞和三年二月日「浦上香童丸申状土代」田部文書)、紀伊熊野社の支配下にあった十社大明神神主は宗直―宗重と続いている。文保元年(一三一七)一二月二一日の将軍家政所下文(旧記雑録)によると、肥後菊池庄(現熊本県菊池市)領家職の替として高知尾庄地頭職などが島津忠宗(道義)に宛行われた。現地の地頭高知尾氏が小地頭で、新たに外来の地頭島津氏が惣地頭となり、惣地頭―小地頭が成立したのかもしれない。

文保二年三月一五日の島津道義譲状(島津家文書)によると、高知尾庄は薩摩国守護職などとともに嫡子貞久に譲与された。延文元年(一三五六)八月六日の足利義詮袖判安堵下文(同文書)では本領として貞久(道鑑)に安堵され、貞治二年(一三六三)四月一〇日、子息氏久(大隅国守護)に譲与されている(「島津道鑑譲状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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