日本歴史地名大系 「高野浜」の解説 高野浜こうやのはま 山形県:酒田市酒田町高野浜[現在地名]酒田市北新町(きたしんまち)一―二丁目・南新町(みなみしんまち)一―二丁目・日吉町(ひよしちよう)一丁目・光(ひかり)ヶ丘(おか)一―四丁目酒田町組の西端、日枝神社の西側に南北に延びる両側町。西は最上川の河口と日本海。町域は二町あり、西側を高野浜、東側を高野浜新屋敷(しんやしき)と称する。庄内昔聞書(飽海郡誌)に空海が袖(そで)の浦(うら)に巡錫し、当所に一宇を建立して高性(こうしよう)寺と称し、村落を高野山にちなみ高野浜と名付けたとある。古来、渡守などが居住し、町外として扱われた。明和七年(一七七〇)の巡見使御用覚書(杉山文書)に高野浜二一軒、酒田御町四四町の外とある。酒田湊の繁栄にしたがって家作も進み、文政元年(一八一八)には家数四〇(「酒田町年寄御用留」同書)。同四年遊女をおいていた茶屋が今(いま)町・船場(ふなば)町の茶屋と契約を結び、当町の茶屋一軒につき給仕女三人に限り両町茶屋抱え名義でおくこととなり、営業が許された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by